常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

新盆に感じる不在の感覚

8月のこの時期になると、多くの人が故人を偲ぶモードになってきます。お盆休みと終戦記念日がタイミング的に重なるので、なおのことでしょう。

日本で8月15日と言えば終戦記念日ですが、インドでは同じ日付が独立記念日になります。

ただし1945年ではなく、2年後の1947年。イギリスによる長い植民地支配からの独立でした。ガンディーの悲願だった「一つのインド」としての独立はついに達成されず、パキスタンが一足先に8月14日に独立。ゆえに印パの「分離独立」という言葉で表現されます。

お盆の語源は盂蘭盆会。盂蘭盆とはインドの古語・サンスクリットでウランバーナ(ullambana)で、お釈迦様の弟子、目連(もくれん)が餓鬼道に落ちた母を救うべく、先祖供養をした故事に基づきます。

なお、インドは確かに「仏教の祖国」ではありますが、2011年の国勢調査によれば「仏教徒」は全国民の0.7%というマイノリティ。総人口が13億人を超えるインドの8割すなわち10億人以上はヒンドゥー教徒です。彼らの祖霊祭は「シュラーッダ(Śrāddha)」と呼ばれる儀礼が知られています。虫賀幹華さんの論文によれば「神と祖霊を祭場に勧請し、塗香、花、香煙、灯明、供物などを捧げるプージャーをしてから、それらにピンダと呼ばれる団子を捧げ、再び神と祖霊をそれぞれの住処に返す」という内容ですから、日本の先祖祭りとの共通点もいろいろありそうです。https://bit.ly/3iGAgbC

ただ、インドでは我々と同じグレゴリオ暦も用いていますが、日本の旧暦と同様、彼の地の伝統行事ではサカ暦やヴィクラマ暦など独特の暦が適用されます。慰霊に伴う季節感は、日本とは自ずと異なっているでしょう。

さて、お坊さんほどの忙しさではありませんが、われわれ神職もお盆の行事があります。それはこの時期に先祖が家に戻ってくるという感覚が、仏教や神道という宗教ではなく、日本列島というエリア特有の習俗に由来するからです。

お盆の行事の中で、新盆のお宅の慰霊を行う「新霊祭」という祭祀があります。前回のお盆から今回のお盆までに亡くなった故人がいる場合、その御霊(みたま)鎮めの行事を言うわけです。一般的な家庭ならば、新盆の法要、ということになるでしょう。祖霊、すなわちご先祖の霊は長い間の御霊祭りによって「浄められて」いるので、いつも通りのお祈りで大丈夫。でも亡くなったばかりの故人の御霊は「祟りやすい」ので、懇ろな祭祀が必要だ、と『年中行事事典』(三省堂、2012年)にはあります。

なるほど。ただ私の感覚とはちょっと違う説明だな、と思いました。やさしかったあの人、穏やかだったあの人。それが亡くなった途端に「祟る」という説明はちょっとしっくり来ないな~と思います。もちろん、笑顔の中にはものすごくデモニッシュな憎悪が渦巻いていたこともあるかもしれないですし、その人が我々のような赤の他人に見せていた表情は「よそゆき」のものだったこともあるでしょう。

思うに亡くなったばかりの故人を懇ろに祀るという行為は、故人のほうではなくむしろ、残された生者のマインドによるところが大きいのではないでしょうか。

故人はもう物理的には語りません。我々が声をかけても、それが届いているのかどうかも分かりません。でも残された我々には、話したかった想いがあり、その人からもう一度聞きたかった言葉がある。そのやり場のない気持ちを落ち着かせ、故人の不在という事実に慣れるための期間。それが新盆の祭祀や「喪」の期間なのではないかなとも思います。

喪中の期間や、弔い上げの期日など、祖先祭祀に関する質問を受けることがあります。でもお答えできるのはあくまで「目安」にすぎません。目に見えぬ故人に対する思いが強いならば、その気持ちに応じた祈りを捧げればよいのです。

独立記念日、そして共和国記念日とともに、インドの三大記念日の一つにガンディーの誕生日があります。我々の暦で言うと10月2日に当たります。遥かに離れた日本という国の教科書にも必ず載っているような偉人ですから、その存在を顕彰するのは当然のことかもしれません。でも私は、ガンディーという大きな人間の不在という事実に慣れない、信じたくないという気持ちが、この人の誕生した日を覚えておこう、という行為に繋がったのだと考えます。

私はもちろん生前のガンディーが活躍していた姿を見たことは、映像を通じてしかありません。その偉業は様々な書物で知るのみです。でもそんな私でさえ、あの丸い眼鏡をかけた老人に訊いてみたかったことや、教えてもらいたかったことがあります。

かつては存在していたあの人が今は不在であるという事実と向き合うための時間。それがお盆という行事なのかもしれません。

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