常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

1-2鈴之宮稲荷神社 社殿に潜入!!

この日記で一番最初にご紹介した鈴之宮稲荷神社に再びお参りしました。創建年代不詳、倉稲魂命を祀る神社でしたね。

タイトルに「潜入!」と書きましたが何のことはありません。ただ初午祭にご奉仕しただけです。

△鳥居は一の鳥居が明神鳥居、二の鳥居が神明鳥居。二つの鳥居がかなり近いため、影が重なっています。二の鳥居の方が新しく、昭和9年1月に皇太子殿下御降誕を記念して建てられたことが記してあります。明神鳥居の方は何か彫ってはあるようですがよく読めませんでした。

△境内には以前ご紹介した神使像の他、たくさんの狐像が奉納されています。

△拝殿はに平成3年に改築されています。普段は戸が立てられていますが、例祭の時には本殿側以外の三方を開け放ち、畳の拝殿に氏子さんが参列します。

△正面の鈴の緒は金丸青年会の奉納。

△拝殿の右手に回ると5円玉で描いた鳥居や鏡など昭和初期から平成に至るまでの奉納の額がたくさん飾ってあります。

今回はこの拝殿の中にお邪魔しました。

△鈴之宮稲荷神社の御本殿。本殿は天明2年に改修、大正12年に修理の記録が残っています。

鈴之宮稲荷神社は創建年代不詳ということになっていますが、社伝によれば天正年間の創建とされています。享保年間の祈願木札が残っており、「常陸國茨城郡府中鈴宮稲荷大明神昔天平年中百済氏祭所貞成賜…」との記述が確認できるようです。

拝殿の中には常陸國總社宮例大祭の神賑行事に登場する70cmもの大きさの獅子頭が保管されています。また、金丸町は祭礼時に弁財天の山車も参加しておりますが、弁財天をデフォルメしたマークの付いたバッグやお囃子で使用されると思われる太鼓の撥なども保管されていました。

△古川長延が作成した初代弁財天。金丸町は弁財天の人形を2体所有しています。初代弁財天は山車とともに大正11年の金丸年番に際して日本橋魚市場本小田原町から購入したもので、かつて「天下祭」の出し物として徳川将軍もご覧になった現物なのだそうです。山車は購入後、石岡流に改造されましたが、もとの江戸型山車の特徴をのこしており、昭和52年に新調された現在の山車もこれを踏襲して造られました。

山車そのものは現在、常陸國總社宮の山車小屋に保管されています。

△鈴之宮稲荷神社の境内でとられた山車の写真。この山車の上で披露されるのが金丸保存会によるお囃子です。お囃子の練習はこの稲荷神社で行われることもあるようです。令和2年の總社園遊会オンラインお囃子ライブでもお囃子を披露してくださいましたので是非ご覧ください。

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