令和7年4月1日、常陸國總社宮ほか22の兼務神社の宮司職を神社本庁より拝命いたしました。
去る5月11日に総代、氏子会副会長、氏子青年ひたみち会歴代会長を発起人として就任祝賀会を開いていただきました。
誠にありがとうございました。
就任に際し、私は宮司名として清原師竺(もろあつ)を襲名しましたことをご報告いたします。
当宮が所蔵する文化財の一つ「総社文書」をはじめとする史料によれば、常陸國總社宮の宮司は代々清原氏を襲名してきたことが分かります。
祖父・石﨑紀夫は私が10歳の時に急逝し、生前清原を名乗ることが出来ず、没後、清原崇紀となりました。
このたび名誉宮司として現役を退く父と相談し、父は清原師雅、私は清原師竺として再出発することと致しました。
常陸國總社宮の伝統を現代に復活し、未来へ継承していく決意でおりますので、変わらぬご崇敬を賜わりますようお願い申し上げます。
総社神主・清原氏は姓だけでなく、名として「師」の文字も相承してきたようです。
私もこれに倣って「師」の一文字を用い、もう一文字は「竺」という言葉を使うことにしました。
「天竺」の「竺」です。
「竺」は「篤」と同様に「あつ」と読むことが出来ます。
私は神職であるとともに、研究者として日印関係の歴史、分けても日本人の天竺認識を考究しています。
天竺とは仏教とお釈迦様の祖国。日本の遥か西に位置する国として中世以来日本人の憧れの場所であり続けました。
一方、人類はアフリカで誕生して以来、太陽を追い求めるように東へ移動し、ついに到達したのが日の大神が光を放つ始まりの場所、常陸国でありました。
「師竺」の名はそんな人類の最東端である常陸国で、西の彼方にある天竺に想いを馳せる意味を込めました。
それはひいては、神道と仏教というかつて混じり合い、そして離れ離れになった二つの祈りが再開することへの願いでもあります。
常陸国の神々のお導きにより、皆様が日々平安のうちに過ごされますことをお祈り申し上げます。
常陸國總社宮
宮司 清原師竺