常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

ものは考えよう

新年あけましておめでとうございます。早くも1月が半分過ぎましたね。

昨年末から数えて今日で17連勤…。新年早々に、京本政樹さんと娘の幼稚園に行くという夢を見ました。ただそれだけです。はい、だいぶお疲れです。でも京本政樹さん、何となく縁起がいいような。いい夢だった気がします。

コロナ禍で初めて迎えた昨年のお正月はやはり参拝者がとても少なかったのですが、今年は多くの参拝者で賑わいました。東北や日本海側のご苦労を思うと恐縮しますが、天候にも恵まれました。

12月、リビングで子どもたちが遊ぶ様子を横目で見ながら仕事をしていると、5歳の娘が兄に対して「悪いことをしたらサンタさんが見てるんだからね!」と一言。ん?お天道様みたいな?もはやサンタさんも神様です。ツリーも神籬(ひもろぎ。神様が降りてくる依り代として立てられるもので、榊などの木や石など)としての役割だと思っているようで、できるだけ窓際に置くよう指示されました。昨年に続きツリーのくつ下には、サンタさんへの労いと感謝のお手紙、お菓子が入れてありました。これはもしや祝詞とお供物!まさか神道行事だったとは!当日は「ママが起きてるとサンタさんが帰っちゃうかもしれないから今日は夜中仕事しないでね。」と言われました。夜は神様の時間ですもんね。

先日お会いしたお坊さんが、「子供がクリスマスはプレゼントを欲しがるのに、花まつりには欲しがらないのはおかしい。」と冗談で仰っていました。神道でも大嘗祭や新嘗祭、例祭だからとプレゼントをねだる子どもはいないでしょうね。

日本の風土のなかで宗教や信仰がいい意味で混ざり合い、お正月もお盆もお墓参りもお祭りも、何となく自然にいつも通り行う。そんなことではだめだ!と考える方もいらっしゃるでしょうけれど、子どもたちの自然な考えや振舞いを見ていると、その混ざり合いや良いとこ取りはむしろ他者を受け入れる大切な器のように思えます。

厄年も然り。悪いことが起きそうでこわい!厄年にお祓いしなかったらいいことがない!と、「厄年」はネガティブなイメージを持つ方も多いかもしれません。確かに男性の42歳は初老を過ぎ、晩年が近づいてくる。女性の33歳は出産、介護もあり、婦人病など女性特有の心配事が増える。厄年は統計学としての考えもあり、ましてや現代の平均寿命や結婚観では個々にうまくイメージし辛いことも多いです。

私個人的には、厄年は大事なお役目があるお年頃、という解釈でいます。男性なら25歳は社会人として仕事を覚えてノッてくる頃。42歳は責任あるポジションを任され若い頃の経験を生かすチャンス。女性なら19歳は大人でも子供でもなく自立を考え始める時期。33歳は自分の年齢と向き合い、結婚・出産・育児、仕事との両立で大忙しなど。

「悪いことが起きるかも」より「がんばるための心構え」ととらえたほうが前向きで、悪いことを吹き飛ばし良いことが舞い込んできそうな気がしませんか?

さて、巫女さん達も本当によく頑張ってくれていました。臨時の巫女さん達はイメージしていたお仕事とはちょっと、いやかなり違ったかもしれませんが、寒い中でも笑顔を絶やさず、ひたむきな姿を見ることができて清々しい気持ちにさせてくれました。

今年は過去最多の臨時巫女さん。4月からは正式にそのうちの4名が常勤巫女として奉仕してくれることになっています。

若い力に頼って、今年は少しゆとりを持てる1年にしたいと思います。

来週予定している書き初めの字は「余」にしようかな。余裕、余白、余貴美子。

アイキャッチの写真に意味はありません。魚も植物も食べるデイノケイルスの包み込まれるような大きな手を見ていたら「余」にピッタリだなと。

 

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