常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

令和7年巳年~予測不可能な双峰を仰いで~

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年末は沢木耕太郎の『旅のつばくろ』がめっぽう面白くて一気に読んでしまいました。
沢木さんと言えば『深夜特急』だと私は思っていますが、自分は直撃された世代から少し下に当たります。
でも何故インドやヨーロッパの一人旅が楽しかったのかと言えば、それが「予測不可能」だったからだと思います。
インターネットと言えばネットカフェでEメールを送るくらいの時代だったからGPSの地図はありません。
だから当然迷ったし、疲れました。乗れるはずの電車に乗れなかったり、行ってはマズい店に入ってしまったり。

沢木さんが後書きで書いていました。

~私がもったいないと思うのは、失敗が許される機会に、失敗をする経験を逃してしまうことなのだ~

行くべき場所、食べるべきものを全て事前に検索し、ランキングが高い場所に人々が群がる光景はつまらないと私も思います。
行きあたりばったりで面白そうな場所に行ってみる予測不可能性。それが旅の醍醐味だし、人生の醍醐味でもあるように思います。

そこへ行くと昨秋から冬に見たデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』は予測不可能の固まりでした。

というか理解不能な部分もたくさんあったというのが正直な気持ちかもしれません。
ただ、だからこそ面白かった。そしてその面白さは分からなさ、不気味さと表裏一体のものだったと思います。
北アメリカの深い森の中にある街と、そこに潜む闇。
闇はネイティブアメリカンの人々が畏れ敬う闇であり、また人々の心に潜む闇でもありました。
ツインピークス、すなわち双峰である筑波山を仰ぐ常陸国の人間としては深く考えさせられる一作だったと思います。

常陸国に残された8世紀の書物『常陸国風土記』にも森に潜む闇にも似た存在が描かれています。
角のある蛇神、その名も「夜刀神(やとのかみ)」です。

継体天皇の時代、箭括(やはず)の氏の麻多智(またち)という人は開墾の妨げになる蛇の神を追い払いつつも、山の境界に杭を打ち、それより上を神の土地と定めました。そして自らが神主となって彼らを祀ったということです。

蛇の神は土地の神霊、すなわち国魂の象徴だと考えられています。この説話は人知の及ばない神を畏れ、敬う古代人の精神を教えてくれます。

人間を取り巻く自然には人知が及ばない領域があります。その予測不可能性とともに生きるのが我々の宿命であり、人生の面白みであるとも言えると思います。

角のある蛇とともに令和7年もよろしくお願いします。

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