常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

年末と年始。

明けましておめでとうございます。

これを書いているのは1月7日。今年こそはと思いつつ、今年も七草粥は朝食ではなく夕食になりました。

お正月の賑わいは三が日のイメージがあるかもしれませんが、例年三が日後の平日は仕事始めの企業や団体の参拝が続きます。多いところでは5、60名の団体でご昇殿、参拝後に始業されたり、あえて夕方遅めの参拝にして、そのまま新年会を行なったりというのが恒例のようでしたが、今年はやはり様変わり。少人数での参拝や1月後半の、さらに空いている時期を選ばれる傾向にあります。

そんなわけで、今年は目が回るほどの忙しさはないものの、当宮の人員では1月7日までに休みを取れる神職は一人くらい。言い訳が長くなりましたが、やはり七草粥は朝食には作れない。でも今年も美味しくいただきました。

話は変わって、昨年のクリスマス。言わずもがな我が家は神道ですが、新嘗祭が終わるや否や年長と年少の子供とクリスマスツリーを飾り、当日はケーキも食べました。サンタさんについての生態に全く詳しくないのに、深夜には彼を装ってプレゼントも用意しました。律儀にプレゼントまで用意するのは、子供がまだ幼少であるからだけではなく、親の後ろめたさが最大の理由です。全ては年末年始をより良く過ごすための貢ぎ物です。年末年始は子供に構う時間はなかなか難しく、子供が病気をせずに機嫌よく過ごしてくれることが最重要であり、恐らく全国の神社あるあるです。

クリスマス翌日、長男がプレゼントのお礼にクッキーを焼いてツリーの下に置きたいと言い出しました。サンタさんてまだ帰ってないの?よく分かりませんが、料理男子の夫と子供が早速クッキー作り。夜にツリーの下にお供え?して、子供は就寝。翌朝空っぽのお皿だけが残されているのを見て、子供は大喜びでした。

人が神社へ参拝するとき、主に「願う」ことが多いのではないでしょうか。何かを願い、叶う。そのことへの「感謝」を伝える。人と人との関係では当たり前にする行為も、目に見えぬ存在に対しては少し忘れがちのように思います。昨年は何事もない日々の暮らしそのものへの幸せを感じずにはいられない年でした。

是非今年は何かお願事がなくても、時々お近くの神社へのお礼参りをしてみて下さい。お願事があるときでも、まずは感謝の気持ちを伝えた後に願うということを心掛けると、ささやかな幸せをいつも感じることができるかもしれません。

クッキーはとても美味しく出来ていました。

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