常陸国衙(こくが)の南、倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)の腰掛石がある丘に広がる常陸国総社宮の境内は悠久なる歴史を伝える古跡であり、日々参詣者が絶えない祈りの場でもあります。樹齢600年の御神木や寛永年間に建造された壮麗なる本殿、清水が湧く禊場、現代的な参集殿など神域の見どころをご紹介いたします。
乗用車が合計約30台が駐車できます。中型バスまでは駐車可能ですが、大型の場合は事前にご相談下さい。正月や例大祭など混雑時は臨時駐車場(石岡市民会館向かい・約200台)をご利用いただけます。駐車後は表参道から参拝されるか、手水舎へと続く近道をご利用下さい。
拝殿前から宮下へと続く旧参道に対し、旧国衙跡(石岡小学校)に面した参道は大正の御造営の際に整備されました。一の鳥居は稲田産の花崗岩を汽車で運んで工事を行い、大正4年に竣功。氏子町内から例大祭の年番記念に奉納された灯篭が並び、祭事には提灯が掲げられます。
天正16年頃、佐竹義宣らの常陸府中攻めにより当宮は石岡市谷向に一時遷座したと伝わります。随神門は本殿と同じ寛永4年頃造営された境内最古の建造物の一つで、遷座時の仮宮の木材を用いたと言われます。門内には石岡市指定文化財の「随神像」一対が置かれています。
江戸後期に整備されたと考えられる「御手洗(おみたらし)道」の禊場は戦後の混乱で長く使われていませんでした。平成25年に設立された氏子青年ひたみち会が整備事業を行って湧水を引き込み、同年12月29日に72年ぶりに禊を復活。現在では例大祭の直前や年末に禊が行われています。
例大祭の神賑行事として最も古いとされる奉納相撲が行われる土俵。「総社神宮祭礼評議」などの記録によれば宝暦年間(1751~64)に造営された記録が残ります。例大祭期間の「奉祝祭」午前に行われるのが通例でかつては当県出身の武双山、雅山などの力士もここで戦いました。
随神門手前に設置された手水舎は参拝前に手と口を清める場所。手水とは簡易的な禊であり水の霊力によって心身を清めることで罪穢を祓う意味合いがあります。四本柱の上屋の下で水が張られた水盤には奉納者として日産商事株式会社の篠塚長太郎氏の名が刻まれています。
大屋根が特徴的な参集殿は御守や御札の頒布所、祈祷受付、御朱印所、直会所のほか神職が執務する社務所等を兼ねています。創建1250年記念事業として、昭和60年に当時としては珍しい設計コンペを経て竣功。緒方四郎氏の設計、大星工務店により施工されました。
当宮の境内には天然水が湧き出ており、禊場などに利用されています。この井戸は毎日神前に供える水や、神職用の手水などのために用いられています。井筒は常陸太田の鋳物師・鹽原彌次エ門(しおばらやじえもん)の手になるもので大正7年作。お水取り用の水もこちらの井戸で組み上げています。
昭和60年の御造営で建造された神楽殿は縦横2間半の舞台構造。神楽とは御祭神を楽しませる芸能のことで、例大祭の奉納神楽、節分祭の豆まきのほか、各種奉納演奏や展示などが行われるための場所です。平成の御造営時には半年間、仮本殿として用いられていました。
当宮の境内には地域の歴史を見守ってきた様々な神様が本殿とは別にお祀りされています。酒造の神様を祀る「松尾神社」、縁結と藍染の神様「愛染神社」、火伏の神様「愛宕神社」と「厳島神社」、氏子町内の1つ香丸町の稲荷神社、そして府中三光宮の1つ「星宮神社」です。
絵馬は元来馬を描いた板絵を指し、高価な家畜である馬の実物を奉納する代わりに社寺に献じられるようになりました。現在では願事を書いて飾るのが一般的で、当宮でも授与所で頒布しているほか、昇殿祈祷を受けた際などに授与され、各自でこちらに奉納していただいています。
第12代景行天皇の王子・ヤマトタケルノミコトは当地で編纂された『常陸国風土記』で「倭武天皇」と記され特別視された存在。ミコトは東征の途中、この石に腰かけられたと伝わります。当宮を造営する際に建造地選定の決め手になったのもこの神石だと言われています。
昭和39年に参拝者の失火で焼失した茅葺の拝殿に代わり、昭和60年に復興奉賛会により新造された拝殿。左右の狛犬は筑波山、霞ケ浦を見渡せる西側に面しています。各種祭典や昇殿祈祷が行われます。正面入口からは本殿御扉左右に配された一対の白の大獅子をご覧になれます。
寛永4年に時の領主・皆川山城守の命で建造された境内最古かつ最重要の建造物。三間社流造で銅板葺き。各所に十六菊花紋があしらわれています。石岡市の有形文化財に指定され、平成28年に日本建築工藝設計事務所の設計、株式会社三和工務店の施工により大規模な修復工事を終えました。
関右馬允(せきうまのじょう)著『茨城県巨樹老木誌』にも収録された県下第一の大楠。樹齢約600年、樹高約17m、樹周約4mに及ぶ。昭和39年に発生した火災によって類焼しましたが、幹の周囲から次第に蘇生し、現在も力強い生命を保っています。当宮では御神木として大切に保存しています。
平成22年度年番大小路町により修復された初代神武天皇の遥拝所。基壇は市内の(有)廣瀬石材店による奉納です。毎年4月3日の神武祭には奈良県橿原市の畝山山稜及び橿原神宮に対して遥拝式を斎行しています。神武天皇は年番町の一つ・青木町の山車人形になっています。
常陸国の主要な神々を御本殿とは別にお祀りした社。祭神は向かって右から武甕槌神、宇気母遅神、誉田別命、菅原道真神、少彦名命、木花咲耶媛命、大己貴命、経津主神、高龗神、猿田彦命、大山祇神、須佐之男命です。本殿修復に伴い現在位置へ遷座しました。
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