「常陸国風土記」とヤマトタケルノミコト伝説
和同六年(713)、元明天皇は地方支配を進めるために諸国の状況を報告させる書物「風土記」の編纂を命じました。現在まで伝わる風土記は全国で5つあり、『常陸国風土記』もその1つ。編者は国司であった藤原宇合(ふじわらのうまかい)という説が有力です。
『常陸国風土記』には倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)の伝説が数多く記されており、ミコトと常陸国と密接な関係がうかがえます。当宮にはミコトが腰かけたと伝わる聖なる石が現存しています。嘉永四年(1851)に記された「總社神宮神庫造立寄附姓名帳」によれば、この聖なる石があるからこそ、境内地としてこの場所が選ばれたと言い伝えられています。
当宮では手塚先生の大作『火の鳥』ヤマト編に登場するヤマトタケルのイラストを用いた御守りと絵馬などを授与しています。