7月11日、東山﨑天神社の例祭にご奉仕しました
山崎天満宮とも呼ばれる神社でご祭神は菅原道真公です。
鳥居は私の好きな両部鳥居。両部とは密教の「金胎両部」の事で神仏習合を表す名残だそうです。
両部鳥居で一番有名なのは厳島神社でしょうか。国内最大の大きさで重さは60トンもあるそうです。
山﨑天神社の境内は氏子さんでにぎわっており、社殿もすでにきれいに清掃されていました。
境内には石碑がたくさんあります。その多くは梵字や仏像などが彫られていました。こちらの写真に写せたものは女人講中の文字が入っています。真ん中の物は「文正十一子」の文字が入っていますので西暦1828年、いまから200年くらい前に作られたものです。他にももっと奥のほうにたくさん石碑がありましたが、残念ながらすべてを確認する時間はありませんでした。
参道にある石灯籠は天保十二年のものですが、火袋の部分は後から修復されたようですね。
△肝心の火袋から上を撮り忘れました
拝殿の中には昭和の社殿造営の写真が飾られており、先代宮司が地鎮祭を執り行う様子や上棟式の様子などが収められています。
△茅葺屋根の旧社殿
△瓦屋根の現社殿
常陸國總社宮の拝殿も焼失する前は茅葺屋根でしたが現在は銅板葺になっています。
さて社殿の中を確認してびっくり。拝殿と本殿の覆屋が細い橋でつながっています。
実はこの社殿、昔は覆屋と拝殿は隔たっていたため、拝殿内で祭祀が行われていました。後から覆屋と拝殿をつなぐように両側に壁が作られ、橋が掛けられたため本殿のより近くで奉仕するようになったそうです。神職や参列者は拝殿に座し、祝詞奏上や玉串奉奠の度に橋を渡って神前に向かいます。橋は十分な太さがありますがなんとなくドキドキしてしまいますね。
兼務社の例祭では蝋燭に火をつける「献灯」の儀が行われることがあります。この東山﨑天神社もその一社です。
社殿は朱塗りで海老虹梁などに黒の装飾が施されていました。
開かれた本殿の御扉の前に掛けられているのはご祭神、菅原道真公のお姿を描いた掛け軸です。今年は感染症予防のため直会は行われませんでしたが、例年ですと氏子さんたちはお祭りの後掛け軸とともに公民館に移動し、道真公を囲んで直会を行っていたそうです。
皆に囲まれる道真公、ちょっと見てみたいですね。