常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

アクティブな祈りの季節、夏。

村上春樹さんの初期の小説に「夏だ。」というフレーズが繰り返し出てくる箇所があったと思ったのだけれど、文庫本をひっくり返しても全然見つからない。

去る6月30日に「夏越大祓 茅の輪くぐり」の行事を終え、名実ともに夏が始まった。夏越より前に梅雨が明けるという前代未聞(なのかな?)の気候だったので、いつものように神事直前まで雨を心配する、ということがないのは良かった。

常陸國總社宮の夏越の行事は茅の輪をくぐった「後」がある。総代さん、氏子会の役員さんと兼務社の総代さんが拝殿内に進み、「八坂神社の例祭」を行う。

これだけ聞くと神職でも「??」という感じだろう。

常陸國總社宮の氏子区域である中町の一角に、昭和9年まで「天王社」と呼ばれる神社があった。牛頭天王を祀り、例祭として祇園の祭りを行う社である。当宮の9月の例祭は近世府中(現石岡市の旧市街、つまり当宮の氏子区域)の複数の祭りの祭礼風流が集合して現在の形になっている。愛宕神社(木の地)の愛宕祭、青屋神社(元真地)の青屋祭、そして祇園祭(天王祭)である。

近代になって市内にあったいくつかの社はこの地区の中心的な神社である常陸國總社宮の境内に遷座された。香丸稲荷神社などは境内社という形になっているが、この天王社は牛頭天皇≒スサノオノミコトということで常陸國總社宮の本殿に合祀されている。スサノオノミコトは總社六柱の神の一人だからだ。

牛頭天皇とスサノオノミコト、天王社と祇園社などの名称のいきさつは川村湊さんの『牛頭天皇と蘇民将来伝説―消された異神たち」(作品社、2007年。昨年新版が出た)をご参照いただきたいが、京都の祇園社が現在八坂神社と呼ばれていることに倣い、全国の祇園社も八坂神社の名称が定着しているところが多い。当宮に合祀された神様も、元々は天王社と呼ばれていたようだが、現在は「中町にあった八坂神社」となっている。なかなかややこしい。

その八坂神社の例祭日は6月14日だったのだが、現在は6月30日の夏越の行事とともに行われているというわけだ。

常陸國總社宮の例祭日は9月15日、でも獅子、山車、ささらといった祭礼風流が繰り出す神賑行事は敬老の日を最終日とする三連休に行われているように、八坂神社の祇園祭は6月30日に例祭の祭典を行い、神賑は7月第一日曜日。つまりこれを書いている7月3日に行われた。

祇園祭の神賑行事は、今や当宮の祭礼風流となった獅子、山車、ささらの原型となる各種の踊りが見られたようだが、現在は神輿渡御が行われる。一昨年は延期とし、昨年は境内でのみ担いだ神輿だが、今年はやっと市中に繰り出すことが出来た。

当宮には例大祭で用いる大小の神輿のほか、祇園祭に用いる「八坂神輿」がある。老朽化していたものを平成16年に有志で復活したものだ。担ぎ手として境内に集ったのは元々八坂神社が鎮座していた場所で、今年の年番町である中町の皆さん。そして氏子青年ひたみち会と、次年度年番である若松町の有志が参加して下さった。当宮直属の神輿会である「總社明神會」の設営のもと、総勢50名ほどが交代で神輿に肩を入れた。私もちょっとだけ担がせて頂きました。(肩が赤くなってます)

周知のように京都・祇園祭の原型である祇園御霊会は打ち続く疫病の退散を祈願するという意味合いがあった。夏に全国で行われる祇園祭も同じである。しかし疫病が実際に蔓延したこの2年間、我々が直面したのは数々の祇園祭が中止、あるいは延期されるという現実だった。

以前、雑誌『Pen』のインタビューで「神様・仏様に祈って効果がありますか?」という問いに答えたことがある。

私の答えは「効果がなければ神社もお寺も現代まで存続していなかったでしょう」というもの。

ウイルスという目に見えないものが「見える化」された現代では、疫病という「病気」に対処する主役は「祈り」から医療に移ったと言える。しかし「祈り」の「効果」もやはり目に見えず、そして科学では(おそらく)決して「見える化」出来ないものだ。

祈り、とは目に見えない存在と「ポジティブに対峙する」手段だ。目に見えるものにばかり心を奪われ、あらゆるものが「見える化」されてしまう現代では、目に見えないものに直面した際に人々はかくも疑心暗鬼になるのか、ということをコロナ禍は教えたはずだ。

「祭り」とは「祈り」のアクティブな一形態。本日、神輿を担いだ氏子さんの後ろ姿が、打ち続く「疫病」を皆さんの「心」から退散してくれることを私は確信している。

ページ上部へ戻る