常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

ジェットに乗って

先月久しぶりに関西へ。茨城空港からの直行便のお陰で、目的地によっては新幹線で行くよりも便利です。コロナが流行りはじめた頃、予定していた搭乗をキャンセルした際に全額返金の対応をして下さったスカイマークさんへいつかお礼をと思っていたので、今回は思い立ったが吉日と神戸空港経由、初の宝塚へ行きました。

宝塚といえば、宝塚歌劇団。

町を歩くと、黒髪の前髪を立ち上げた長身の女学生と、お人形のように手足の長い色白の女学生が並んで歩いていたり。劇場ではどなたかの記念公演があったとかでファンと思われる人々で賑わっていました。

私のお目当ては、これです。

宝塚市立手塚治虫記念館です。想像より素朴な感じ(失礼)。市立の記念館ですからね。ちょうど『鉄腕アトム特別展』を開催中でした。現在は放送40周年を記念して『マクロス展』を開催中です。他の作品展示もあり、石岡にも縁がある『陽だまりの樹』の原画も見ることができました。子供向けの有名作品とは一味違った無音性の短編アニメ(シュール且つ哲学的)の上映を観たり、充実の時間を過ごしました。

 

当宮では手塚治虫作品『火の鳥』『ジャングル大帝』とコラボレーションした御守や御朱印帳などがあります。

鎮座地である茨城県石岡市は江戸時代、常陸府中藩とよばれ、手塚治虫先生のご先祖様である手塚良仙・良庵親子は府中藩の藩医でした。藩主は東京小石川の藩邸にお住まいだったので、手塚親子も江戸住まい。石岡市には住んでいません。手塚親子と架空の府中藩下級武士・伊武谷万二郎が幕末の江戸で、医師として、武士としての生き様を描いた大河作品が『陽だまりの樹』です。

手塚先生が自身のルーツを調べて資料を基に描かれているので、生涯描いた作品数が700タイトルにも及ぶ中でも、唯一その発想の出どころや構想がはっきりしている作品でもあります。

先生が思いを持っていた土地であることなどから、全国の神社で当宮が初めて作品のキャラクターを使わせていただけるようになったのが平成25年。当時はまだ地元の方にもあまり知られていなかった歴史や良いご縁が広がり嬉しく思ったものです。

幕末の混乱を経た後、藩屋敷のあった石岡市へ移住したご先祖・手塚良運さんという方のお墓が今でも石岡市内の清凉寺さんにあります。

さて、その後は宝塚市内に鎮座する伊和志津神社様へ。同い年の宮司様には記念館(ご本人、久々の入館。地元は案外行かないものですよね)や市内をアテンドしていただきお参りもさせていただきました。

伊和志津神社(いわしづじんじゃ)様は当宮六柱の大神の一柱でもあるスサノオノミコトを御祭神とする延喜式内社です。そして手塚先生がご奉納された直筆の雪洞の絵も残されています。アトムが太鼓を叩く愛らしい絵で胸キュンものです。10月の例大祭では一般公開の機会もあるようなのでぜひお参りへ。境内は涼しげな夏詣の装いで女子力高めです。素敵な御朱印をお待ちの参拝者で賑やかでした。

伊和志津神社公式ホームページ 

https://iwashidu-jinja.jp/

宝塚は扇状地ですぐ近くには山があり川が流れる美しい自然を背景に、宝塚ホテルや歌劇団の華やかな文化や芸術に触れることができ、建設中のいくつもの高層住宅も立ち並びます。古墳の数も多いそうで、近隣都市とのアクセスの良さなどもあり古くから形を変えながら発展してきたのでしょう。きっと手塚先生が過ごしたその時代も、独特の文化や風土から影響を受けて、作品に活かされていたのだろうなと思える町でした。現地に行くことは大事ですね。

さて、次はどこへ行こうかな。

アイキャッチ画像は、手塚治虫記念館のジャングル大帝手ぬぐいと当宮の手ぬぐいで作ったダボシャツ。

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