常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

Oct-Nov なかなかにインドまみれ

私は何故か「天竺」というものを研究しています。なので(?)、試しに「天竺」とググっていただくと、割と上位に名前が出てくるようです。

天竺とは通常、「インドの古い名前」と考えられています。
しかし、「必ずしもそうではない」というのが私の考え方。でも、これに触れると本一冊分以上語るべきことがあるので相当にはしょります。
気になる方は拙著『日本における天竺認識の歴史的考察』を眠くなりながらお読み下さい。

さて、そんな天竺の専門家である私が、ずっと前から見てみたかった行事があります。それが以前も紹介した(かもしれない)天竹神社(てんじくじんじゃ)の例大祭、通称「棉祖祭(めんそさい)」。コロナで延期続きだったのですが、ついに今年は4年ぶりに実施されました!
そして以前参拝させていただいたり、祭事の写真を拝借したりという御縁があってご招待を受けましたので、喜んで参列させていただきました。ちなみに通常「てんじく」は「天竺」と書きますが、こちらの神社では「天竹」と書きます。

立派な幟旗がいくつもたなびいていました。

拝殿正面には提灯が飾り付けられていました。

御祭神である「崑崙人」が漂着した故事を模した「舟神輿」。宮型部分の中には崑崙人が棉の種を入れていたという壺が!

天竹神社は愛知県西尾市に鎮座し、日本に初めて棉(綿)の種をもたらしたという「崑崙人」あるいは「天竺人」をお祀りした非常に珍しい神社。御由緒はこちらが参考になります。

白丁・烏帽子姿の保存会による棉打ち。今年は若い会員さんが入会されたそうです。

資料館に展示された拙著。

平坂熊野神社さまが兼務されておられ、普段は天竹町の氏子さんで切り盛りしておられます。
祭典終了後、境内で行われるのが「古式棉打ち行事」。境内で栽培されておられる綿花から綿を打ち、古式のまにまに糸を紡ぐというこれまた非常に珍しい神賑行事ですが、久しぶりに行うことが出来て氏子さんたちの喜びもひとしおのご様子。見物客もたくさん来ていました。境内には神社に関する資料官があり、以前奉納した拙著も展示していただいておりました。
ちなみに×2、「棉」はやはり「めん」と読んで植物の状態を意味していて、種をとって「わた」になると「綿」と書くそうです。
この天竹神社についても語るべきことはたくさんあるのですが、こちらは以前東京外国語大学のグローバルスタディーズ学会で発表させていただきましたので、さらにご興味ある方は私までご一報くださいませ。ひとまずこちらの方のブログが非常に詳しく参考になります。

https://bahadurshah.com/blog/tenjiku-shrine

そして日付は変わって10月28日。昨年10月2日に初めて開催した「愛染祭」が今年も行われました。
こちらの行事は常陸國總社宮の境内にある神仏習合の社「愛染神社」の例大祭。10月2日がマハートマー・ガーンディ―(ガンジー)の誕生日であり、昨年は日本とインドの友好70周年記念ということもあり、一念発起して実行委員会の皆さんとともに開くことが出来ました。
2年目となる今回は実行委員長である江戸文字書家・橘吉也さんが自ら作られた「万燈神輿」がお目見え。
昨年に引き続き、まち蔵藍さんによる藍染ワークショップを行っていただき、守横町からは山車囃子の奉納がありました。

お囃子を奉納して下さった守横町の山車からの餅撒き。今年も飛び入りさせていただきました。

そしてインド料理ユニット「マサラワーラー」のお二人をお招きして、参集殿で南インドの定食である「ミールス」を食べさせられ放題されてしまうイベントを行い、多くの方にご参加いただきました。武田尋善(ひろよし)さんと鹿島信治さんによるマサラワーラーについてさらに詳しく知りたい方はこちら。茨城県にお住まいということに御縁を感じ鹿島さんに突如、ご連絡したところ快くお引き受け頂きました。とても楽しいお二人。とても楽しく、美味しい時間でした。

https://www.masalawala.xyz/

参集殿で行われた「ミールス」ランチ会。このようにマサラワーラーの二人がやってきて、どんどん食べ物を追加してくれちゃいます。

愛染神社前で行われた祭典。今年も「本建て正藍染あいり」様から藍染の幕の御奉納がありました。内側の提灯が見える素敵な神前幕です。

夜には雅楽とインド音楽による「観月会」。インド音楽のほうはバーンスリー奏者の寺原太郎さん、タブラ―の明坂武史さん、タンブーラの阿部美和子 さんをお招きし、雅楽は地元の神職からなる「新治雅楽会」の演奏でした。かくいう私も「人長舞」を久方ぶりに披露しました。
午前中は豪雨に見舞われたものの、午後には晴れ渡り、インドに関心のある方もそうでない方もお楽しみいただくことが出来ました。

神楽殿で奉納されたインド音楽の演奏。

人長舞「其駒(そのこま)」。

そして11月9日には遠路、広島へ!母校・東京外国語大学時代からの旧友である菅梅章順くんのお誘いで講演をさせていただきました。
実は大学時代は菅梅くんがお坊さんであるとは全然知らなかったのですが、広島市佐伯区の圓明寺のご住職をされているとのこと。
そして我々神職の世界に「神道青年会」があるように、お坊さんの世界にも青年会があり、菅梅くんは現在「高野山真言宗広島青年教師会」の会長をされています。そして拙著をご覧いただいて、プロのお坊さん相手に「天竺」について語って欲しいという大変光栄なものの、ものすごく恐れ多いオファーが!!まさに「釈迦に説法」とはこのこと!と思いつつ、旧友からのお声かけでもあるし、自分自身、「天竺」を現代社会においても身近に感じておられるであろうお坊さんたちに、私の研究成果がどのように響くのか知りたいということもあり、二つ返事で承りました。

菅梅くんが住職をされる圓明寺。

当日、迎えに来てくださった菅梅くんとともにまず圓明寺さまに参拝。そして研修会の会場である宮島の大願寺までフェリーで渡りました。宮島は厳島神社で有名ですが、神仏習合の霊場でもあります。そういう日印が邂逅した場所を研修会の会場にするという菅梅くんの粋な計らいでありました。いつになく緊張した私ですが、何とか「天竺はインドになったのか。歴史的視点から」という演題でお話することが出来ました。

大願寺さまを参拝。

会場となった大願寺客殿にてご住職、会員の皆様と撮影。

大願寺客殿にはインド大使館から寄贈された象の置物が!

会場をご提供いただいた大願寺さま、そして菅梅会長をはじめご清聴いただいた皆様に感謝申し上げます。研修会のあとは対岸の宮島口で皆様と懇親会。天竺のことに関わらず、インドのこと、お寺のこと、神社のこと。「目に見えないものを大切にする」職業を同じくする者同士、非常に意義深い意見交換をさせていただきました。

広島に宿泊しての帰路、原爆ドームと平和記念公園を訪れました。広島は何度か来たことがあったのですが、恥ずかしながらこちらへ来るのは初めて。小雨の降る中気づいたのは、献花台に捧げられた花輪。よく見るとインドのV.ムラリーダラン・インド外務・議会担当閣外大臣(H.E. Mr. Vellamvelli Muraleedharan, Union Minister of State for External Affairs & Parliamentary Affairs of India)さんによるもの。これもインドと天竺が私をこの時に広島に向かわせた御縁でしょうか。

インドの国旗と同様、3色でアレンジされた花輪が捧げられていました。

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