え?4か月ぶりの更新ですか?まさかそんなww そんな…
さて!今回紹介するのは大谷千勝神社です。
お参りしたのは昨年11月。
小美玉市の広報誌『広報おみたま』によると大谷千勝神社は御祭神、佐竹義政の没後700年にあたる明治14年に胴塚とともに建立されたそうです。その後神社は現在地の大谷公民館近くに遷座され、胴塚は残っていません。
佐竹義政は源平期に常陸平氏と外戚関係にあり、平清盛に属していた常陸国の武将で、治承4(1180)年11月4日「大矢橋事件」で没しています。
源頼朝は平家討伐の際、上洛前に関東の平家方残滓、佐竹氏討伐のために常陸国府に進軍し、佐竹と縁のある上総介広常に佐竹義政・秀義を誘殺させる計画を立てます。佐竹氏は金砂城を拠点に抵抗しましたが、義政は帰順の意を示し大矢橋まで参上します。上総介広常は義政を橋の中央に誘い殺害、翌日には金砂城に残った秀義を敗走させました。※一説には義政を討ったのは梶原景時であるとされています。
みなさん、令和4年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はご覧になっていましたか?第10回の放映で佐藤浩市さん演じる上総介広常が平田広明さん演じる佐竹義政を斬り捨てるシーンが出てきましたね。ドラマでは森に囲まれた場面で、前後が金砂城を舞台にしていたため常陸国北部での出来事のように思われますが、実は国府のすぐ近くで起こった事件でした。(この回の大河ドラマ紀行は金砂山の紹介でした。おしい!)
義政の胴塚は残っていませんが首塚は神社の園部川対岸、新大谷橋の近くに残っています。
△令和2年の例祭の様子。命日に因み11月に例祭が行われています。向かって右の旗には「神洲和樂千勝神社 大谷氏子中」左の旗には「堅忍持久千勝明神 昭和四十九年甲寅十一月 石﨑紀夫謹書」とあります。当宮の先代宮司が書いたものでした。
▲鳥居は平成15年11月に大谷区の皆さんが奉納してくださったもの。
△神社は拝殿を兼ねた上屋で覆われています。殿内は3、4名が座れる程度ですが座礼での祭礼が可能です。正面の赤い扉は金属製。上屋には「千勝神社」の扁額が付いています。
△覆屋に入って振り返ると芳名版があります。一番右端に「千勝神社 船玉神社本社上屋 権現神社上屋 新築寄付者芳名」とあります。同時期に周辺の神社も覆屋が建てられたんですね。
△境内の手水舎。昭和4年1月、宮内清志郎さんにご奉納いただいたようです。
△こちらが社殿です。令和2年の写真。社殿は板ぶきで流造。木鼻に魚が下がっていますね。
△こちらは今回参拝した令和5年の様子。青物が2匹も提げられ、狭い拝殿内に磯の香が充満しています。
△つるされている魚は秋刀魚でした。節分の柊鰯と同じく匂いなどで魔除けをするために提げているのではないか、ということです。
さて、こちらの神社ですが踏切近くの丘の上にあるため、電車と写真を撮ることができます。例祭中も電車の音が聞こえてきました。