常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

4-2 染谷佐志能神社 某局まわし者のような…

4月19日染谷佐志能神社例祭にご奉仕しました。

佐志能神社の入り口の一の鳥居は上記の④です。

この鳥居はこちらの→Googleマップのように三叉路の真ん中にあります。

今回我々は祭典の道具などを持っていたためこの一の鳥居を車で通りましたが、狭い道に自信のない方は鳥居の前を左へ逸れて龍神山霊園に停めた方がいいかもしれません。鳥居を過ぎてからは坂道をフルスロットルで登ります。でも踏みすぎるとぶつけちゃうから気を付けて!もちろん写真を撮る余裕はありませんでした!道の険しさはGoogleマップで確認してみてね!

▲車は第二鳥居の前に駐車。ここからは荷物を持って徒歩で階段を登らなくてはなりません。階段を登りきると小さな広場に出ます。足元は岩でごつごつして滑りやすいのでお気を付けください。

△階段を登り切ったところにあった「戰利兵器奉納ノ記」

明治37、8年の役の戦利品で、我が軍が大勝を得た記念の品です。これを献上し、祈願成就の御礼の心を表し、国の隆昌を祈願します。

というようなことが書かれています。

最後に「明治40年3月 陸軍大臣寺内正毅(花押)」とあります。明治37、8年の役とは日露戦争のこと。この石碑と全く同じ文面の物が全国の神社に残されており、中には石碑と一緒に当時の露軍大砲や砲弾などが残されているところもあります。

石碑の下半分の枠には実際に奉納されたものが書かれています。

「歩兵連發銃 十五珊砲彈 七吋半砲彈 十字鍬 方匙」

歩兵連發銃は具体的にどんな銃なのかはちょっとわかりません。日露戦争では機関銃が本格的に使われ始めたようですが、機銃は当時も機銃と呼んでいたのではないかと思いますし、連発銃ならライフルでしょうか?それ以外は15センチ砲弾、7.5インチ砲弾、ツルハシ、角スコップだと思われます。

その下には染谷地区からの出征された13名のお名前が記されており、枠外には「大正三年十一月七日青島陥落ノ日 大字染谷建之 小林清理彫刻」と作成者の名前が記されています。

△写真の左の石は波切不動明王。「天明●●年十一月大吉日」とありますので240年くらいまえのものです。境内には他にも祠や灯籠がありましたがせっかく例祭で拝殿があいているので拝殿の方を見てみます。

△こちらが御本殿。拝殿とは引戸を隔て、階段でつながっています。流造銅板葺。社殿は文久2(1862)年に一度焼失し再建されました。

△頭貫は阿吽の龍の彫刻が施されています。木鼻は獅子になっているようです。

△脇障子は雲水と獅子。左右で阿吽になっており、昇り降りや顔の向きも対象になっています。

△ところで佐志能神社の参道は途中で赤い手すりがついている男坂と緩やかな女坂の二手に分かれています。この女坂の方で今年の大河ドラマ「光る君へ」の第一話の撮影が行われました。

物語の始まり、下級貴族の藤原為時は官職を得られず困窮した暮らしを強いられます。のちに紫式部と呼ばれる娘の まひろ(落井実結子さん)は母(国仲涼子さん)に誘われお百度詣りをすることにしたのですが、そのお参りの場面に登場するのがこちらの参道です。

実は佐志能神社はこれまでにも時代劇のロケ地になっており、平成15年の大河ドラマ「武蔵MUSASHI」や平成23年の大河ドラマ「八重の桜」、平成30年に放映された山本耕史さん主演の鳴門秘帖、佐々木蔵之介さんや柄本佑さんが出演した平成31年の正月時代劇「家康、江戸を建てる」にも登場しました。

現在放映中の「光る君へ」を含め上記のドラマはNHKオンデマンドで現在も視聴できるようですので気になる方は是非一度ご覧ください!

【御報告】

4月15日、16日に氏子会、保存会が合同で研修旅行を行い24名が参加しました。

1日目は春の高山祭を視察。国の重要文化財にも指定されている12台の屋台や300人もの供奉行列、からくりの御奉納を拝見し、高山の古い町並みを楽しみました。

2日目は飛騨総社を正式参拝し、数々の御宝物の他、飛騨総社の例大祭で実際に使われている獅子も間近で拝見させていただきました。その後、秋の高山祭を斎行する桜山八幡宮を参拝し屋台会館を見学。

短い期間ではありましたが、高山の皆様に過分なおもてなしをいただき、それぞれに学ぶことの多い旅であったと思います。

 

 

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