10月28日、東京ドームホテルで行われた 東京都神道青年会 創立七十五周年記念大会に参加してまいりました。
え、もう年末?いやまだ(旧暦では)11月ですよ。
会場の様子をみると150名以上の方が参加されていたようです。
サムネは さとうたけし さんのライブペインティングの作品。
▲おもむろにキャンパスを塗り始めるさとうさん。
ペイントローラーだけであっという間に画面に朝日が浮かび上がり、ニョキニョキ竹が生えたかと思いきや神職のシルエットが完成していきました。太陽の下の陽炎や足もとの濃い影、服のシワまで全てローラーで描かれています。神職は足もとから描き始めたので最後まで一体何ができているのか想像もつきませんでした。さとうさんは韓国で行われた麗水万博ジャパンデーで日本代表アーティストを務めた他、国内外の著名人のポートレイトを作成、曼荼羅などの仏画も作成されています。
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さて、今回の記念講演の講師は歌舞伎俳優の中村獅童さんでした。今回の講演は質問形式で行われています。
獅童さんといえば
獅童さんは大河ドラマには1989年から出演されていますが、私が初めて拝見したのは「新選組!」の滝本捨助役。実在の人物 松本捨助をモデルにした、物語を動かすためのオリジナルキャラクターで主人公近藤勇の幼馴染、お金持ちでドジで我儘だけど明るくて仲間思いのぼっちゃんの役でした。同じ三谷さんの大河ドラマだと「鎌倉殿の13人」にも梶原景時役で出演されており、こちらは信心深くも冷酷無慈悲、ハードボイルドな男を演じています。
他にも「レッドクリフ」や「あらしのよるに」、「デスノート」などはタイトルを聴いただけでも獅童さんが思い浮かぶような作品ですね。歌舞伎でも「義経千本桜」や「色彩間苅豆」などで主役をされたり新作歌舞伎を作ったりと多方面で活躍されていますが初めから順風満帆な俳優生活ではなかったようです。
歌舞伎を始めたきっかけ
獅童さんはお父様が歌舞伎役者を廃業していたため、おばあ様に連れられてご親戚の歌舞伎の舞台を客席から見ていました。そして自分も舞台に立ちたいと思ったのが歌舞伎を始めるきっかけだったそうです。師匠も付き人もおらず、鏡台などはお母さまが運んでいらっしゃったのだとか。自分でやりたくて始めた歌舞伎ですが、子役の頃は役がもらえても年が上がるにつれて次第に声がかかることが減っていき、舞台に上れたとしても台詞もない群衆の役ばかり。19歳の頃には松竹からはっきり「主役級の役は難しい」と言われてしまいます。歌舞伎の役がない間にも芸を磨こうと現代劇のオーディションを受けるもののこちらも次々と落選。歌舞伎では年下の御曹司が自分を追い抜かし主役を務めるようになっていきますが、そんな環境でも獅童さんは有名になったらインタビューではどう答えるか、ということばかり想像していたそうです。
大学時代に目標ができる
この10代後半の悩める時期を導いたのはおばあ様でした。将来の可能性を増やすために大学に通うことを勧められ、日本大学芸術学部に通います。大学では歌舞伎を見てレポートを書く授業もあり、歌舞伎を始めるとき以来再び舞台の外から歌舞伎を客観視する機会を得たそうです。この時にロックを聴くような友人も歌舞伎をかっこいいと言ってくれたことで、「まだ見たことのない人にも歌舞伎を見る機会を」という現在にまで続く目標ができました。ところでこの頃もやはり歌舞伎ではいい役を貰えず、現代劇のオーディションもVシネマや群衆役さえ落ち続けていたそうです。
人生の転機
そんな獅童さんでしたが29歳ごろついに映画『ピンポン』に出会います。キャラクターに合わせ気合を入れて髪も眉も剃ってオーディションに望み、見事主人公のライバル役の座を得ました。この時、獅童さんは今は亡き中村勘三郎さんから歌舞伎座での公演に声を掛けられており、お世話になっている兄さんからの誘いだし自分は歌舞伎役者だから、と歌舞伎を優先させようとしたそうです。ところがオーディション合格を知った勘三郎さんから「なんで早く言わないんだ!歌舞伎の方はいいから絶対ピンポンに出ときなさい。これはあなたにとって重要な仕事になるよ。」と背中を押され映画への出演を決めました。
結果映画は大ヒット。これがきっかけで歌舞伎でも大きな役が貰えるようになったそうです。端役から突然大役を任されるようになったので型が身についておらず、稽古が大変だったとおっしゃっていました。
あらしのよるに
また、このころ獅童さんは「あらしのよるに」に出会います。「あらしのよるに」はある嵐の闇夜、山小屋に山羊と狼が避難してきてお互いの正体を知らないまま意気投合し、嵐がやんだあと今度は明るい場所で会おうと約束をして山小屋を後にする、という有名な絵本です。この絵本は国語の教科書に掲載され、ミュージカルやゲームになるなど若年層を中心によく知られています。獅童さんは「NHK教育テレビ絵本あらしのよるに」でナレーションと全キャラクターを演じ、その3年後にはアニメ映画となった同作品で主人公の狼役を演じています。
獅童さんのお母さまはこの物語を大変気に入り、「この物語は子供も大人も楽しめるような歌舞伎になるね」という話をしていたそうです。
残念ながらお母さまは2014年に亡くなったそうですが、翌年、獅童さんは京都南座で座頭をできることになり「母の生まれ故郷で母のお気に入りの物語を」と「あらしのよるに」の歌舞伎化を松竹に持ちかけました。「あらしのよるに」には「あなたはあなたらしく生きればいい」というテーマがあり、子供たちが初めて歌舞伎に触れる題材としても相応しいもの。さらに絵本や映画であらすじを知っている人が多いため歌舞伎を見ない若い層でも受け入れやすい物語です。だからこそ児童演劇にする気はなく、暗闇の演技「だんまり」や大勢での格闘「立ち廻り」、歌舞伎と聞いてイメージされる「飛び六方」など歌舞伎特有の演技をふんだんに盛り込み、初めて歌舞伎を見る人にも歌舞伎とは何か、ということがわかりやすい作品となるよう古典歌舞伎に拘った新作だということです。
自分で企画を立ち上げ、南座でお稽古を重ね、親孝行のつもりで挑んだ新作歌舞伎。その初日の直前、松竹から実は10年前にすでにお母さまが「あらしのよるに」の手書きの企画書を持ち込んでおり、獅童さんが興行を打てるようになったらこの話をやらせてあげてほしいと頼んでいたということを知らされます。
「母に捧げるつもりが母からの最後のプレゼントになった、最後まで母に助けられた。」と獅童さんはおっしゃいました。
そんな獅童さんは舞台に出るとき三度祈りを捧げるそうです。歌舞伎の演技は一期一会、今まで成功していたからといって今日も成功するとは限りません。一度は家を出る時お家の神棚に、もう一度は歌舞伎座の神棚に、そして三度目は舞台に出る直前に、歌舞伎の神様、ご先祖様、そしてお世話になった人々に今日の舞台が成功するように祈るのです。
さて、歌舞伎「あらしのよるに」ですが、本日令和6年12月28日から令和7年1月13日まで松竹公式動画配信サービス「歌舞伎オンデマンド」で配信されます。視聴にはチケット購入とMIRAILへの登録が必要になります。詳しくはコチラをご覧ください。
年末年始は歌舞伎を見よう!それでは皆様良いお年を。