さて、今年も例大祭の時期が近づいてきました。
去る9月1日に今年の年番町 泉町の皆様に早朝より境内清掃のご奉仕をいただき、同日に仮殿地鎮祭も行いました。
本年の仮殿は↓の地図では總社宮から見て駅の反対側、青い鳥居のマークのところです。
当宮の仮殿の概要や仮殿でのお祭りについては以下の記事でご覧いただけます。
今年の年番、泉町は石岡市教育委員会の編纂した『石岡の地名』によると、寛永年間(1624~1644年)頃に街道沿いに新たに形成された町で、もともと「新町(あらまち)」とか「荒宿(あらじゅく)」と呼ばれていたのが宝永年間(1704~1711年)に「泉町」と改められたもの。当時火災がしばしば起こっていたため、防火の願いを込めて「泉」の名を使ったそうです。明治43年に編纂された『石岡誌』には、泉町に火の神 迦具土尊を祀ってる愛宕神社があったことも記されています。いまでもあるのか、時間が出来たら探してみたいですね。
泉町は山車1台と獅子2台を所有しています。
▲山車に乗っているのは鍾馗と呼ばれる人形。服装からもわかる通り中国から伝わった神様で、疫病神を追い払うとか、鬼を食らう大鬼だとか言われています。また、学業成就の御利益もあるそうです。これは鍾馗が唐の時代の人間だったころ、科挙の合格を取り消されて自害したものの帝に手厚く葬られたため帝を襲う鬼を退治した…という故事によるものです。
この山車は本年の例大祭特別御朱印のデザインにもなっています。
狐載せすぎでデザイン盛りすぎじゃない?と思うかもしれませんが、本当にこんな感じです↓皆さんよく落ちないですね。
▲山車の上部についている提灯は「い組」と書かれています。囃子の会の名前も「い組囃子」。
泉町は火事が多かったため(最近だと昭和時代にも泉町に位置する木比堤稲荷神社が焼けたりしています。詳細はコチラ)火消しも発達していたようで、火災が発生すると「いの一番」に駆け付けたことから水戸徳川家より「い組」を賜ったと言われています。
▲こちらは平成24年の泉町山車清祓祭で撮影された写真。平成23年に彫刻が新調されました。
▲新たに取り付けられたのは吉澤眞澄氏の作成した水に関わる彫刻。胴羽目彫刻は鯉が泳ぐ姿。
▲脇障子は鯉が瀧を登って龍になる登竜門の彫刻。こちらはもう顔が龍になっていますが、この他に鯉が瀧を登っているものが2点あります。
▲他にも瀧と鳥の彫刻など脇障子は4点すべて瀧の彫刻です。
▼獅子頭は黒い太眉が特徴の権九郎型の獅子が2台。鼻が赤いものと黒いものの2種類です。
ところでこの幌獅子ですが、後ろから見たことはありますか?
注連縄が後部で結んあるのですが、この形、しっぽフリフリしてるみたいでかわいくないですか?
橋本、密かな推しポイントです。