常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

暁に聞こえるもの

ここ3カ月は久しぶりに忙しかったんじゃないだろうか。他人事のようだけど自分の話です。

まず今年度から桜美林大学で非常勤講師として授業を一コマ持つことになりました。先輩研究者からご紹介いただいた「南アジア研究」という講義です。当初は対面の予定でしたが結局は全てオンライン。長距離移動はせずに済みますが、画面越しの講義にはなかなかのスキルが必要だと感じました。

そもそも初めてのコマなので、レジュメを毎回一から作らねばなりません。(前から分かっていたんだから早めに作っておけばよかったのです)さらに計算が狂ったのは2コマ連続ということ。さらに桜美林の1コマは100分。毎週200分の準備のため、自転車操業的な真夜中ライフでした。ようやく昨日前期が終わり、あとは成績をつけるのみです。

そして久しぶりに古巣『Pen』誌で編集のお手伝いをしていました。執筆依頼はちょくちょく受けていたものの、ひとまとまりのページの編集をまるっとお引き受けするのは多分10年くらいぶり。ブランクもあり、コロナ禍で入稿作業が全てオンラインということもあって大分苦戦しました。ちなみに「編集」というのはページ構成、取材や撮影のアレンジ、ディレクション、写真や文章の入稿、取材先との交渉や校正作業など。久しぶりに、”現世”の忙しさ、というのを思い出しました。編集者ってこんなに忙しかったのだな~。また、10年前と変わらずおおざっぱな編集ゆえにデスクや編集長に大分、ご心配をおかけしてしまいました。

そして本業である神社の仕事としては、例大祭について氏子の皆さんや、スタッフたちと延々と考え続けていました。例大祭とは、常陸國總社宮の最大の行事であり、「石岡のおまつり」と略称される一連の行事のことです。

去る12月に行われた総代会で、今年の例大祭は「神賑行事も含めて何らかの形で必ず実施する」という決議を頂き、15年に一度神様をお迎えする「年番」中町、石岡のおまつり振興協議会、石岡獅子舞連合会、石岡囃子連合保存会、總社明神會、氏子青年ひたみち会、石岡青年会、石岡市観光協会の皆さんと「例大祭関係者会議」を4回に渡って開催してきました。各団体の意見を踏まえながら、「感染症対策ガイドライン(案)」を作成し、いかにして神賑行事を含めた祭りを行えるかを協議してきたのです。

昨年(令和2年)の例大祭は9月15日に例祭の祭典(神事/式典)のみを行い、神賑行事は令和3年(すなわち今年)に延期しました。「神賑行事」とは、いわゆる「おまつり」の賑やかな部分のこと。祭典が厳かな儀式であるのに対し、神賑行事は神様を楽しませる「出し物」です。

既に発表されている通り、7月3日に氏子各町からの意見を聞き、翌4日の総代会で方針を決定。11日の第四回例大祭関係者会議で、今年の実施方法を共有しました。今年も市中における神賑行事は行わず、来年に延期となりました。ただし9月15日の例祭の際に境内だけで最小規模の神賑行事を行えるよう、努力して参ります。既に氏子全町にも通知をお送りし終えたところです。

市街地における神賑行事を2年連続行えないという未曾有の事態になり、先日新聞記者の方の取材に答える機会がありました。その際受けた質問に「こういう結果になってどういう気持ちですか」いうのがありました。

これまで「神主さんは祭りをやりたいの?」的な質問を受けることもありました。やりたいか、やりたくないかで言ったら確かにやりたい、なんですが、ちょっとニュアンスが違うような・・・。どちらかというと、自分は祭りを「やるべきだ」と思っていました。そして総代さんたちを含めて各団体の代表の皆さんもそのように考えて下さったので、これまで協議を続けることが出来たのではないかと思っています。

お祭りは神様の記念日の行事(誕生日パーティーのような)で、神賑行事が出し物(歌とかマジック?コント?物真似?)だとすると、神職というのは何なのでしょうか。ざっくばらんに言うならば、誕生日会の「幹事さん」みたいなものでしょうか。

幹事を仰せつかったからには、その行事を盛大に成功させなければなりません。しかも主役は神様です。しかし幹事である私には出し物を行うスキルも余裕もありません。神様のお祝いのために、祭りというパーティー会場を用意して、プログラムを組み、氏子さんという招待客に出し物を出せる環境を準備する。

2年前までは「いつも通り」準備をすれば「いつも通り」神様のお祝いにかけつけてくれた氏子さんたち。私はその環境を整えられなかったことに対し、神様に対しても、氏子さんに対しても申し訳なく思っています。それが記者さんの質問へのお返事でした。(使われなかったけど笑)

4月に発売された『Pen』の特集「コロナの時代にデザインができること」において、私も「お悩み相談室」というコーナーに登場させていただきました。質問は「昔の人は社寺を建立して疫病を鎮めようとしていたが、神様・仏様に祈って効果がありますか?」というもの。

その答えそのものは本誌をご覧いただきたいのですが、要点は「効果がなければ社寺は今まで存続しなかった」ということ、そして「祈りとは不可知に対するポジティブな姿勢だ」という2点です。

「祈り」とはすなわち「祭り」であり、「祭り」とは「祈り」です。今年も賑やかな祭り=祈りを行えないという現実に直面し、氏子36町内に住む皆さんはとても寂しい思いでいらっしゃることと思います。

でも私たちは一歩でも、半歩でもポジティブに前に進み続けなければいけません。ウィルスという不可知を恐れてメディアの流言に惑わされるのではなく、科学を信じて「神様」という不可知に対して祈りを捧げるべきだと思っています。

村上春樹さんの真似をしているつもりはないですが、私はいつも早寝早起きを心がけています。午前4時くらいになるとあたりが少しずつ明るくなり、鳥の声が聞こえ始めます。

以前、いつもどんなに起こしても起きない6歳の長男が5時くらいに起きてきて、薄明りの中に聞こえる鳥の声にじっと耳を澄ませていることがありました。そして「明日も早起きする!」と主張しました。(その熱はもう冷めて、毎日ぎりぎりまで寝ています・・・)

静かな気持ちで暁を迎えると、鳥の声が聞こえてきます。その声を聞くと、かつて異国を旅する最中に迎えたポジティブな朝を思い出すような気がします。

 

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