常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

「ひたみちのくにつもの」とは?(前編)

私たち神職が毎朝行っていることがあります。
それは「日供祭(にっくさい)」。
ご祭神にその日の神饌(しんせん)をお供えし、合計すると4つの祝詞を詠みます。

一つ目は祓詞(はらえことば)。罪と穢れをお祓いするための祝詞で、ほとんど全ての祭りや行事の始まりに唱えます。
二つ目は大祓詞(おおはらえのことば)。夏越と師走の大祓の行事で詠むのが知られていますが、当宮のように毎朝唱える神社も多いでしょう。
三つ目は日供祭詞(にっくさいし)。神饌をお供えする旨を奉告し、その日一日の安寧を祈ります。
ここまでは多くの神社と同様かと思います。

次に四つ目に詠んでいるいるものは恐らく世界で常陸國總社宮だけではないでしょうか。
それは『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』です。

『風土記』とは和同6年(713)、元明天皇の詔に応えて地方の国々が朝廷に対して提出したいわば報告書。
その国々の風土や地域の名称、神話や言い伝え、そして特産物などが記されています。
全国で編纂されたはずですが、現存するのは5つのみ。『常陸国風土記』もその一つです。
なぜ我々がこれを御神前で詠むかと言えば、それは『常陸国風土記』が常陸国への称言(たたえごと)になっているから。

常陸國總社宮の神様は常陸国の存在するあらゆる神様。つまり常陸国という風土に宿る神霊を意味します。
『常陸国風土記』では常陸国を「常世」のようだと記し、その風土の豊かなることを称えています。
これを唱えることは常陸国、そして当宮の神々の素晴らしさを称えることになるのです。

とはいえ『常陸国風土記』は保存状態が良く、全部詠むとなるとかなり長いもの。
そのため『日供祭』では序文のみを奏上しています。

その序文最後のほうに常陸国が「“くにつもの”の豊かなる処なり」と記した箇所があります。
くに・つ・もの、つまりその国の自然が生む産物のとことでしょう。

今回われわれ神職はこの記述にあやかる形で、新しい授与品「ひたみちのくにつもの」を考案しました。
「ひたみち」とは常陸国の語源とで、やはり『風土記』にある言葉。
ひたすらに平らな道が連なっている様子を示す言葉だとされています。

「ひたみちのくにつもの」はお札やお守り、お供物や記念品をまとめたもので、元々はコロナ禍で来宮が叶わない方へ当宮の御神徳をお届けするためのものとして準備する予定でした。

しかし常陸國總社宮にしかない、常陸國總社宮だからこそお届けできる授与品にしようと考えた時に、その核となったのが「くにつもの」という考え方でした。
つまり、常陸国という風土のエッセンスが、この授与品に凝縮されたものにしたいと考えたのです。

そして神社の授与品というと、お札にしても御守にしても昔ながらの形式のものがほとんどです。
確かに近年、様々な神社で様々な授与品が作られていますが、その形式の厳めしさのゆえに、身近に置くには敬遠される方もいたかもしれません。

例えば完全に洋風なインテリアの家に、大きな神棚はそぐわないでしょう。
私は神社に戻る前に出版の仕事をしていましたが、出版界はなかなか狭き門。
ゆえに新卒の就職活動では出版社のほかにもいくつかの企業の求人に応募していました。
その中で内定をいただけた企業に「カッシーナ・イクスシー」がありました。
イタリアを中心とした高級家具を扱う会社で、ご存じの方も多いかと思います。
その最終面接で入社したらやりたいことはありますか、という問いがありました。
私はそれに対し、現代のインテリアに合った神棚や仏壇を考案したい、と話しました。

神仏に関心はあっても、仰々しい神棚や仏壇を新たに自宅に置けるのは都市生活者にとっては恐らく少数派でしょう。
そうした皆さんにも身近に置いていただけるようなものがあったらいいのでは?
というのが私の20年以上前からの想いでした。

幸い最近はスタイリッシュな神棚や仏壇が多く世に出るようになりましたが、こと授与品となると、そうしたものはまだあまり見受けられないようです。

「ひたみちのくにつもの」は常陸国総社宮のウェブサイトからお求めいただけます。

https://hitachisosya.thebase.in/

これを書いている現在はまだ予約のみの受付ですが、令和3年末から順次発送していく予定です。
もちろん当宮に参拝された際にお求めいただくことも出来ます。
こちらはご祈祷の授与品なので、昇殿祈祷を受けることも可能です。

皆様の暮らしの中に「ひたみちのくにつもの」が届きますことをお祈りしています。

http://sosyagu.jp/%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/1297.html

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