前回の青木稲荷神社に引き続き石岡の稲荷神社をご紹介致します。仲之内町に鎮座する隅之宮福徳稲荷神社「すみのみやふくとくいなりじんじゃ」ご祭神は倉稲魂命、天之御中主命の2柱。倉稲魂命は伏見稲荷神社より勧請されたそうです。
創建年代を不明とする資料もありますが、『隅之宮稲荷神社由来記』には称徳天皇景雲三年の創建であると記されています。
△入口の鳥居 右手の柱に「御成婚記念」と彫られており、裏面を見ると「大正十三年一月」とありますので、昭和天皇の御成婚を奉祝して建てられたことがわかります。
△祭礼時にはこの鳥居に幟が立てられます。「隅宮稲荷神社」「稲倉大明神」と記されています。
△こちらの石碑は敷石の奉納を記録したもの。石畳は大正5年に奉納されました。
△石畳の参道を進むと神使の狐が出迎えてくれます。
△この狐さんは昭和62年7月に井坂武雄さんに奉納されたもの。…あれ?なんだか見覚えがあるような。どこかでお会いしませんでしたか?
△拝殿に向かって右手にはご神木が生えています。
△拝殿は平成2年5月に改築されたものです。扁額は昭和21年に奉納されました。
△拝殿の中 提灯は拝殿新築と同じ平成2年に、幕は平成元年の1月に奉納されたものです。
△昭和22年の社殿改修奉納者の額
△5円玉で描かれた鳥居が奉納されています。これらは昭和50年代から平成10年までの間に奉納されています
△美しい絵馬もありますが、これは明治17年に奉納されたもの。
ここまで福徳稲荷神社の施設を見てきましたが、奉納物は明治以降の年代の新しいものばかり。これは明治3年の大火によって社殿が類焼し、宝物や神器がすべて焼失したためです。この火事では神社6か所、寺院2か所が焼失し、福徳稲荷神社のすぐ近くにある青木稲荷神社の周辺も焼き尽くされてしまいました。
仲之内町は常陸國總社宮例大祭で供奉行列の露払いを務める町内の一つですが、獅子頭も焼失したため一時祭礼への参加を中断しています。明治29年に新たに作られた獅子頭は焼け残ったご神木の欅を使って作られたもので、寄木造りではなく一刀彫を応用して作成されたそうです。福徳稲荷神社の復興の様子は定かではありませんが、石岡市教育委員会の発行する『石岡の歴史と文化』には「明治30年代には、境内で屋台や踊りが盛んであった」と記されており、獅子頭とともに復興したものと思われます。
△幌の部分は現在も福徳稲荷神社で保管しています。
ところでこの狐さんたち、なんだか見覚えがあると思ったら鈴之宮稲荷神社の神使さんに大きな耳と堀の深さがそっくりなのでした。
△鈴之宮稲荷神社の神使