常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

ハリー・ポッター大喜利

我が家の教育では古典に親しむことを大切にしている。マンガならまず『ジャングル大帝』を読ませ、アニメなら『機動戦士ガンダム』(もちろんファースト)を見ることから始めた。そんな中「面白いから見てみたら」と勧めていたのに、新しいものが嫌いな長男が全力で拒否していたのが『ハリー・ポッター』だった。しかし、最近興味を覚えたドラゴンやらグリフォンやらの怪物たちが物語の中に出てくることを教えると、不服そうに見始め、『賢者の石』から『アズカバンの囚人』まで視聴を進めてきた。

頭の中が呪文渦巻く子供との会話で見出した新しい遊びが「ハリー・ポッター大喜利」である。もしかしたら既に実践している人が多数いたかもしれないが、認識は存在に先立つということで、私が発明者として名乗りを上げます。

どういうことかというと、何のことはない「ハリー・ポッターと〇〇」と何でもいいからいいまくる、という遊びである。
だが、子供のクリエイティビティにはいつもはっとさせられるもの。なかなかいい作品が生み出された。

7歳の長男はまず「ハリー・ポッターと巨大ナメクジ」と言った。なるほど、ゴジラやらガメラやらウルトラマンが好きな彼らしい作品だ。昨年我が家の近くで大量に発生し、未だに奴らのせいで夏の夜は怖くて歩けないという心情をよく表してもいる。それに呼応して私が「ハリー・ポッター対キングギドラ」と言うと、彼は「ハリー・ポッター対アムロ!」と対抗してきた。英才教育の賜物である。

一方、5歳の娘は一味違う。まず彼女が言い放ったのが「ハリー・ポッターとくさいケツの男」である。毎日のように「どこでそんな言葉を覚えたの?」と思わせる彼女ならではの、下品なマインドに溢れた一作である。「ハリー・ポッターとくさいマスク」というのもいい。なんだか嗅覚に敏感みたいだ。コロナ世代の日常が滲み出ている。

私も負けてはいられないのでいろいろ言ってみた。
「ハリー・ポッターと忘れられた宿題」(長男を揶揄して)
「ハリー・ポッターと埃っぽい神棚」(駄目なやつ)
「ハリー・ポッターとぐちゃぐちゃなスタディスペース」(女児は片付けが苦手)
などなど。

思うに日常に寄せていくと、いい作品が出来上がるように思う。
私がヒット作として自画自賛したのが以下。

「ハリー・ポッターとお手軽なおかず」

皆さんも是非、やってみて下さい。面白い作品が出来たら批評します。

ということで「ハリー・ポッターと冬服だらけの5月」もそろそろ終わりですね。
皆さんも健やかにお過ごしください。

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