昨日、9月15日は常陸國總社宮の例祭日。一年で一番大切な儀式が行われる日です。
今年も神社本庁から献幣使をお迎えし、厳粛に実施することが出来ました。
例祭とは神様の記念日を寿ぐ儀式。盛大なパーティーであれば、主催者や本人、来賓の挨拶などがある、式典部分になります。
そして、主役である神様にプレゼントする「出し物」が、賑やかな「お祭り」あるいは「神賑行事」の部分になります。
昨年、一昨年と延期としてきた神賑行事ですが、関係者との度重なる協議の結果、今年は3年ぶりに実施することになっています。
明日からの土曜日に神幸祭、日曜日に奉祝祭、月曜日に還幸祭が行われます。
例祭を中心としたこの一連の行事を全体で「例大祭」と呼びならわしています。
本日の例祭では神前神楽として午前の部に土橋町の獅子舞、そして午後には巫女の浦安の舞が行われました。
3年にも及ぶ疫病の中、全国では多くの祭りが“感染拡大防止”のために中止、延期を余儀なくされました。
本来ならば疫病退散を祈るための祭りでさえ、実施できない、実施されないということに私はどこか虚しい思いを感じていました。
必要のない場面でも外すことのできないマスクという心の壁、
感染者を罪人のように扱う社会的雰囲気、いずれも疫病ではなく現代社会が生んだ病理だと言えます。
未来の祭りの担い手になるはずの中学生は、祭りを知らないまま高校生になりました。
祭りは単なるイベントやフェスティバルではない、という主張を神職や、熱心な氏子さんから聞くことがあります。
もちろんそれはそうなのですが、では何なのか?
それは「祈り」なのでしょう。
今日の早朝、氏子青年ひたみち会の皆さんとともに境内の禊場で禊を行いました。
禊に伴う「鳥船行事」の和歌の1つにこのようなものがあります。
天津神 国津神たち 見そなはせ 思いたけびて 我が為すわざを
これは神への思いが高じて「禊」という「わざ」へと向かわせるという心持ちを表しているわけですが、「神賑行事」もまた、神への祈りが高まるがゆえに行われる「技」なのだと思っています。
2年のブランクを経て、氏子さんたちはこの1、2カ月「祭りの感覚」を取り戻すべく仕事や学業を終えた夜、一心不乱に練習を重ねてきました。石岡の夜空には毎夜のように祭り囃子が遠く響き渡りました。石岡に祭りが戻ってきたのです。
我々神職も盛大な祭りは久しぶりです。体で覚えていたはずの感覚がどうも戻ってこない。「あれ?ここはどうだったかな?」という部分がある。どこか体の芯が「祭りモード」にすんなりシフトしない感覚がありました。でも昨日、自分の中で確実にモードチェンジする瞬間がありました。
それは土橋町の獅子舞の太鼓と笛の音を久しぶりに聞いた瞬間でした。
文化財に指定された「常陸國總社宮祭礼の獅子・山車・ささら行事」のうち、幌獅子と呼ばれる石岡の獅子舞は土橋町に端を発します。
来年設立50周年になる土橋町獅子舞保存会の皆さんは、江戸時代から続く獅子舞の伝統を絶やすことなく保ち続けています。
昨日、獅子舞に参加して下さった町内のある方がこう仰いました。
「俺たちは神社と神様のために祭りをやっているんだ」
茨城県が世界に誇る神事、常陸國總社宮の例大祭が戻ってきました。