常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

平成なロンドンと、ぷにぷに的な一致

本日(というか昨日)は昭和祭という行事がありました。
昭和の時代に想いを馳せつつ、新しく始まった新年度の交通安全を祈る行事です。
石岡地区交通安全協会さんに記念品をご奉納いただき、石岡警察署からも毎年ご参列頂いています。
祭典を恙なく終え、続く総代会では今年の例大祭の大神輿のルートなどが協議されました。

自分は歴史みたいなことを研究しているわりにはロングスパンの時間の計算は非常に苦手です。
なので「つくば万博のときは何歳だった」とか「何年のワールドカップの時に」とか「オウムの事件の時に何年生で」とかいうのがぱっと出てこない。いちいちevernoteのメモを見ないと分からない。みんなすごいなあと思います。
そしてevernoteのメモも見つからない。
でも最近自分は真面目な(に見える)職業に従事しているせいか真面目に見られるようですが(見られていないという説あり)、元来、非常に適当な性格なので、いろいろなことを深く考えなくてもいいかな、というモードになっています。
(自分の履歴と時代背景くらいはリンクさせておくのは大人の嗜みだという指摘あり)

何故このように思ったかというと、昭和の時代について少し考えたこともありますが、最近、ロンドン時代からの友人と久しぶりに集まったからです。

ロンドン時代―などと書くと大げさですが、大学3年生から4年生になるタイミング(でしたか?)で、ロンドン大学のSOAS(School of Oriental and African Studies)というところに少しだけ留学していました。
私は東京外語大出身で、これだけで英語がペラペラだと誤解されるのですが(外大あるあるです)、さらに英国に留学していたとなるとペラペラペラくらいなのかなと思われがちですが、まったく英語は不得手です。
全然使う機会がないのもありますが、だんだんしゃべれなくなってきているような気がする。。。

ともあれそんなロンドン時代からの仲間(日本人です)に会って、飲んだり食べたりして、喋ったり喋らなかったりしました。

そんな中で一つ印象に残ることがありました。
友人の一人と音楽の話になって、異様に盛り上がったことです。
彼は留学して最初の登校日に行われたテスト(みたいなもの)で隣の席に座っていて、お互い日本人同士とは思わなかったので、「ペン持ってます?」「貸そうか?」見ないなやり取りを英語で行い、終わってから「日本人なんじゃん!」ということで笑い合い、意気投合して何かといえばお酒を飲んだり(飲んでばかり)、クラブで踊ったり踊らなかったりした仲なのです。

夏休み中不在にするというので、彼のフラットに少しだけ住まわせてもらって、ターンテーブルで遊ばせてもらったりもしました。

当時彼はトリップホップとか、ラテン・ドラムンベース的なジャンルに詳しく、自分はどちらかというとディープハウスとか、ジャズとかを聞いていてお互いのジャンルを聞き比べたりしたような記憶がありました。

今回久しぶりに会って話してみたら、二人ともそれぞれ紆余曲折はあったものの、現時点では非常に似通ったジャンルの音楽を聴いていることが判明しました。それでKan Sanoが最高だとか、やっぱロバート・グロスパーだろうとか、そんな話をしたのちに、プレイリストを交換しようということになり、それぞれ最近自分で作ったプレイリストを交換したのです。

アーティストで言うとかぶっている人が半分くらい、でも全く同じ曲というのは2つしかなかったのも面白い。
つまり、似たようなテイストが好きなんだけど、自分に刺さってくる曲はそれぞれ少し違う、というずれですね。

かぶっていた曲はこちら。

彼らに出会ったのはもう20年も前のことですが、その時から漠然と思っていたことがあります。
それは自分が人との「ずれ」を楽しむタイプの人間なのだな、ということです。

世の中にいる自分以外の人間は、いずれも他人。自分と同一の人はいません。
皆、違うのは当たり前です。でも無限に存在する他者の中で、人はどこか自分と共通する部分を探してしまう。
それでもやはり、自分と他人は違う。その違いが自分を惹きつけるのかもしれません。

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