常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

♥新治支部形代流し 穢れを移した人形の行方

今年も6月30日に夏越大祓茅の輪くぐり神事が斎行され、多くの皆様にご参列いただきました。

皆様が罪穢れを移した人形は唐櫃に納められ、神職とともに茅の輪をくぐりました。皆様とご一緒に祭典を行うのはここまでですが、人形はこの後どうなるのでしょうか?今回は神社散歩をお休みしてこの人形を追跡します!

そもそも大祓は知らず知らずのうちに溜め込んでしまった罪穢れを祓う神事で、毎年6月30日と12月31日の2回、ちょうど半年ごとに行われており6月の大祓は「夏越(なごし)の祓」ともいわれています。

罪穢れを移した人形をどのようにするかというと、『神社祭式同行事作法解説』には「…切麻及び大麻を徹し、祓物と共にこれを薦に包み、河海に向ひ流棄する。但し事情によっては、式後に焼却しても差支へない」とあります。神事の中で神職が読む大祓詞にも、神々の神威によって罪穢れが川から大海原へ流され、根国底国にたどり着いてどこかに彷徨い失われる様子が記されています。

この川や海に祓物(人形)を流す役を「流棄所役(りゅうきしょやく)」と言いますが、今回、当宮では私がこの役を務めることになりました。

▲こちらの貴船神社さんのように人形をそのまま川に流す神社もありますが、当宮ではまず人形を焚き上げます。

▲灰になっていく人形。この灰は全てかき集めて和紙に包み、『夏越大祓形代流し神事』に持参します。

新治地区では昭和62年から毎年、形代流しを地域の神職・総代が合同で執り行っています。形代(かたしろ)とはそのまま「何かの形を象った身代わり」という意味です。皆さんが穢れを移した人形も形代の一種ですね。最近では車や犬猫の形代も出てきています。

灰になった人形は↑のような葦苞に納められます。

合同での祭典を終え、退出する神職と代表の総代さんたち。人形を納めた葦苞は総代さんたちが1つずつ手に取ります。こののち人形を「河海に向ひ流棄する」わけですが、新治地区ではどこに流棄するのかというと…

霞ヶ浦です。↑の地図の💜のマークのあたりです。

霞ヶ浦は『常陸國風土記』には「流海(ながれうみ)」と記され、茨城郡(現石岡市を含む地域)には隣接する「佐禮の流海」「高浜の海」として登場します。当時はまだ外洋とつながっており「霞ヶ浦」という名称はなく、水域ごとに名前が付けられていました。特に高浜のあたりは春には花が千々に咲き鶯が囀り、秋は木々が色づき鶴が飛び交う。夏に暑さを避けて集えば鬱陶しさや煩わしさが除かれるという風光明媚な地域だったようです。霞ヶ浦の淡水湖としての歴史は浅く、江戸時代の浅間山噴火に伴う利根川の治水事業などによって徐々に淡水化され、戦後に常陸川水門が設置・完全閉鎖され現在の姿となりました。

▲神職・総代は土浦の霞ヶ浦湖畔での祭典の後、船に乗って更に沖宿沖まで移動します。

▲霞ヶ浦に人形入りの葦苞を流棄する代表。

▲遠く離れていく祓物。

「祓所の神の神威によって、海底深く、更に「根国、底国」に棄却されてしまふのである。かくして人はその本然の姿に立直ることができる」(『神社祭式同行事作法解説』より)といいます。かつて海とつながっていた霞ヶ浦の湖底も根国、底国につながっていることでしょう。

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