常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

田植のワニと伊勢のシャーク

毎年5月5日は恒例の御田植祭。石岡市根小屋地区の「献穀田」において今年も無事に行われました。戦前は現在の国府中学校のあたりに献穀田があったらしく、当時の御田植祭の写真が残っています。

当日はまず常陸國總社宮の拝殿で早苗をお祓い。受け取った早乙女とともに神職は現地へ向かいます。現地では今年の御田植祭の総括担当の斎藤権禰宜が、彼が事務局を務める氏子青年ひたみち会の皆さんと会場設営を進めてくれていました。

田んぼに設えた祭壇に神様をお招きし、宮司が祝詞を奏上。「耕作長」の役目を務めるひたみち会の山内孝夫会長が掛け声とともに鍬入れ。早乙女に早苗が分けられ、いよいよ田植です。

早乙女さんがある程度植え終わると、次は飛び入り枠。ひたみち会の皆さんや、見物客の子供たちが田植を体験しました。めでたし、めでたし。

と、私は何をやっていたのでしょう?さぼっていた? いえいえ、違います。私は神事の中の黒子である「賛者」をやっていたのです。

「賛者」とは辞書によると「平安時代、即位や朝賀の式で典儀(少納言)の補佐をした職」とあります。現在では祭りや神事の際、典儀(司会)の神職の補佐のため、黒子となって働く役目の人を言います。例えばどんなことをするか。

強風で玉串が飛んでしまった・・・。取って来て~!(←事前に固定しておくべきもの)
結構偉い来賓の席札が間違っている・・・。直してきて~!(←事前にちゃんと確認しておくべき)
アマチュアカメラマンが勝手に入り込んでいる・・・。お引き取りいただいて~!(←事前に説明しておくべき)

などなど。祭典は神事のため完璧を期すべきもの。事前に準備をしているはずが、どうしても不測の事態が起こったとき、宮司以下神職は動けません。何事もなかったように涼しい顔をして座っている・・・? あれ?なんか宮司さんが目配せしている? 何? 何かおこった?現場を見ると・・・あ、あれだ!でも私は司会があるから行けない。誰かやってきて~という時にさ~と行ってちゃちゃっと何事かを処理するのが賛者の役目です。要は祭りの黒子ダイル・ダンディーですね。(これが言いたかっただけ)あ、そうそう。今回は写真の撮影もしていましたよ。
※注クロコダイル・ダンディーは80年代半ばにちょっと流行ったコメディー映画です。知りたい人はgoogleに聞いて下さい。

さて、ワニと言えばこんなことがありました。今年の家族旅行は出雲。今年いっぱい頒布予定のブラックジャックの限定御朱印の舞台です。

出雲大社を参拝してウサギの写真を撮りまくり、美保神社ではめったに見れない「青柴垣神事」を拝観したものの、旅程の都合で稲佐の浜には行けず・・・。せっかくだから御朱印を持って現地で写真でも撮ろうと思いましたが、現物を忘れました。。。

それはともかく、オオクニヌシノミコトが助けた白ウサギは、ある生物をだましたせいで皮を剥がれてしまった。答えは次のうちどれでしょう?

1 サメ
2 ワニ
3 ワニザメ

ブラックジャックの御朱印ではサメを描いていますが、『古事記』や『因幡国風土記逸文』に記されているのは「和邇(ワニ)」。そして昔の教科書(今もかな?)には「ワニザメ」との記述があるようです。

我々神職は、神話には「ワニ」とあるがこれは実はサメのことなんですよ~、と簡単な説明をしています。でも実はこれはワニなのか?サメなのか?昔は議論が絶えなかったそうです。

和邇をサメとする根拠は、ワニは熱帯の動物で日本付近には生息しておらず、山陰地方の方言でサメをワニと呼ぶから。しかし日本にも50万年以上も前にワニがいた時代があって化石が発見されており、江戸時代に海からワニが漂着した記録もあるという。民俗学者の折口信夫も現在の日本にワニがいないからといって昔の人がワニを知らなかったとする軽率をいましめています。

ちなみに「ワニザメ」という言い方は歴史学者の喜田貞吉(1871~1939)が隠岐の旅館で食卓に並んだ刺身を見て何の魚か尋ねたところ、「ワニです」との女中の答えにびっくり。出雲の方言のことを知った彼が後に国定教科書の編者となったとき、分かりやすいようにワニザメと表記したのが始まりだとか。

実は私はここ10年くらいサメに関心があります。というのは私が研究している「天竺」に関わるサメがいるから。その名も「テンジクザメ」。

和名を名づけた昔の生物学者がなぜ、この「テンジク」という言葉を使ったのか知りたいと思っていた矢先、偶然というか必然というか、そのとっかかりを見つけました。

4月の末に伊勢神宮に研修に行ってきたのですが、研修所となっている道場の図書室に『全集日本動物誌24』という本がありました。不思議に思って開いてみると、サメを詳述した章が。しかもテンジクザメに関する記述もある!よくよく見てみると執筆者の矢野憲一氏は伊勢神宮の神職だというではありませんか。この論稿のほかにも『鮫の世界』『ぼくは小さなサメ博士』など鮫に関する著作多数!

著者略歴と解説によれば矢野さんは1938年三重県伊勢市のお生まれ。1962年に伊勢神宮に奉職され、同神宮の博物館である神宮徴古館や農業館の学芸員を長く務められたそうだ。矢野さんは学生時代から日本史の中での人間と動物のかかわりに関する民俗学に興味を持ち、神宮に奉職されてからもこの方面の調査を進めていた。矢野さんは伊勢地方で食べられる「サメのタレ」と呼ばれる干し肉の存在と農業館にある豊富なサメのコレクションにひらめき、以来寝ても覚めてもサメばかり、という生活が始まったのだとか。

その結果、矢野さんはサメの研究や著作に関して数々の賞を受賞。私が神宮で発見した本に収められた「鮫の世界」はサメや同じ仲間であるエイの博物誌的集大成。上述した出雲神話とサメの話や山幸彦が背中に乗ったヤヒロワニのことなど、日本神話におけるサメの記述に関しても興味深い説明が満載である。

帰石(石岡に帰ってきたことをこう言います)した私は早速「日本の古本屋」で矢野さんの本を検索。現在、こちらの『ものと人間の文化史35 鮫』を読んでいるのであります。

お坊さんで研究者という方は結構おられますが、神職さんで研究者、しかも神道以外を研究されている方というと数えるほどしか思い当たりません。私も細々と神道以外のことを研究している一人でもありますので、矢野さんの存在とご業績を知ったことで、とても嬉しく思いました。

そして矢野さんはなかなかお茶目な性格のご様子で、著書の中に「~なことはシャーク(癪)である」といった表現が散見される。普段から周囲に理解されないダジャレを口走る私としては、大いに励みになるのでありました。

ページ上部へ戻る