常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

第30回 神青協一都七県協議会 総会に参加してきました

6月3日、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張にて行われた第30回神青協一都七県協議会総会に参加してまいりました。

主管は千葉県神道青年会の皆様。

御来賓の皆様も含めおよそ120名ほどが参加していたかと思います。一都七県の会議に参加するのは今回が初めてでした。

全体の報告の他、参加の8単位会の事業報告もありおよそ2時間の総会となりました。

次年度は茨城県が主管を務めます。ちょっと緊張しますね。

総会には記念講演がつきものですが、今回のテーマは「宮中雅楽」。講師は元宮内庁式部職楽部で首席楽長を務められた上明彦先生でした。

先生の所属していらっしゃった楽部は宮内庁で音楽、特に雅楽を担当しています。

そもそも雅楽ってなんでしょうか?雅楽というと日本に昔からある、神社で演奏する、貴族っぽいというようなイメージを持っていらっしゃる方が多いと思います。

日本に昔からある?

皆さんがよく聞く雅楽は越天楽でしょうか。学校の授業で雅楽を学ぶ時や神社の境内で使用されることが多い曲です。これは唐楽と呼ばれ、大陸から伝来したものです。他に高句麗から伝来した高麗楽などもあり、この他日本古来の舞楽や催馬楽なども含めて平安時代までに整えられた曲を雅楽と称します。実は「雅楽」という言葉自体も中国からやってきたものです。ただ、701年には「雅楽寮」という楽舞をつかさどる公的機関が登場し宮中で演奏を行うなど、雅楽は皆さんの想像通り古くから日本になじんだ音楽です。

神社で演奏する?

雅楽は神社だけでなく寺院、宮中でも演奏されます。もともと天皇陛下が御臨席されるような国家的儀礼や祭祀の場で演奏されており、奈良時代の東大寺では開眼供養で500人もの僧侶が雅楽を演奏し、筆舌に尽くしがたい素晴らしさだったと言われています。神社では地方ごとに発達した神楽などが奉奏されていましたが、神様に大陸から伝わった新しい音楽もお楽しみいただきたいと神前で演奏されるようになりました。

貴族っぽい?

国家的行事で演奏されていた雅楽は、次第に皇族方や貴族階級に浸透し、平安時代になると現在われわれが西洋楽器を演奏し作曲も行うように、日本人による作曲が行われるようになりました。平安時代に隆盛を極めた雅楽ですが、武家が台頭してきた鎌倉・室町時代になると応仁の乱がおこり、宮廷の力が衰え都が荒廃したことで雅楽も衰微します。このため時代劇で雅楽が登場するのは源平合戦ごろまでの上流階級が登場する場面となり、雅楽と言えば平安貴族のイメージが定着しました。

戦国時代とか江戸時代とかはどうしてた?

都と共に衰退した雅楽。鎌倉時代あたりから影が薄くなってしまいますが、既に全国に伝播しており、大阪の天王寺や奈良の南都の楽家などが雅楽を守り続けていました。戦乱が落ち着いたころになると、大阪・奈良の楽人が京都に残った楽人と合同で朝廷での演奏を行うようになり、江戸時代には徳川家が京都・大阪・奈良の楽人を一部江戸に呼び寄せ、幕府方にも楽人が置かれることとなり、次第に復興していきました。

現在につながる雅楽局・楽部

明治時代、天皇の東京行幸に伴い、京都・大阪・奈良・江戸でぞれぞれに活動していた楽人が集められ、東京に雅楽局が作られました。

この時、楽師の家が一家相伝で守ってきた秘曲も皇室に返上するという形で全て雅楽局が管理することとなり、雅楽を網羅した明治選定譜が編纂されました。明治7年には楽部で洋楽も演奏することになり、所属していた雅楽師たちが一時辞表を出すストライキが起こったものの、すぐに西洋楽器も習得し実用されるようになりました。第二次世界大戦後は楽部として活動が続けられています。

上先生が所属していらっしゃったのがこの「宮内庁式部職楽部」です。

先生は雅楽の成り立ちから現在の楽部の様子までをお話くださいました。楽部に入るには随分若いうちに進路を決めないといけないということは聞いたことがありますが、どのようなことを行っているかは全く分からなかったためとても興味深く拝聴しました。

先生は昭和天皇崩御にあたり、大喪の礼にもご奉仕されました。国民は喪に服すため音楽の類を一切停止し、さらに大喪の礼の曲は普段演奏することを禁じられていたため、崩御の後に初めて曲を知らされたそうです。また続く新帝の即位でも新しい歌舞を献上します。大嘗祭では占いによって新米を献上する悠紀田・主基田を定めますが、その地方の風俗を取り入れた歌舞を新たに作って献上するため、こちらも初めての曲を奏することになります。

全員にとって初めての曲ですから、欠員が出ると全体に迷惑が掛かってしまいます。

病気や怪我によって儀式に差し支えないよう、食べ物に気を付け、躓いたりすることがないよう階段は一歩ずつ昇降したということです。

▲こちらは楽長補として楽生に唱歌を伝える上先生。

楽部に所属するには中学校を卒業後、15歳で楽生として宮内庁に入庁します。楽生は、夜は定時制の学校に通うなどしながら7年間、楽器は打楽器、笛、弦楽器、洋楽器の4種類、曲は200曲以上もの管弦や歌舞、そして洋楽を学びます。

雅楽にも楽譜がありますが、宮内庁楽部では祭典中の演奏が主となり、中には暗闇での奉仕も含まれるため楽譜を使わず、先生からの口伝でメロディを覚えるそうです。先生ももちろん楽部の職員さんですから楽生さんにとっては先輩にあたります。楽生は1年ごとに試験があり、最終試験がその後の楽師としてのキャリアにも影響を及ぼすのだとか。雅楽と言ってイメージされる煌びやかな服装は本番の時にしか着用せず、普段はスーツで歌舞の修練を行います。

雅楽は1000年以上も前から伝えられてきた音楽ですが、楽生への雅楽の伝承について先生は「私たちは1000年を50年ごとに区切った鎖の一粒一粒。それは神職の皆様には共感して頂けると思います」とおっしゃいました。

我々も楽を奏するとき、神事に奉仕するとき1000年の鎖につながっているのです。

【お知らせ】

本日6月9日より小美玉市の竹原神社であじさい祭りが始まりました。

本年は竹原神社の印が作成され、御朱印の図案が変更されました。

昨年の様子はこちら→【竹原神社 あじさいまつり】

6月30日まで開催中。16日には毎年恒例のコンサートや足湯、あじさい苗のプレゼントも行われますので是非ご参拝ください。

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