常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

愛車②

皆様お疲れ様です。

猛暑日が続いていますが、どうぞご自愛ください。

さて今回も前回の続きである自分の愛車BRZの開発についてお話ししたいと思います。

ある日多田は常務の河上から「今日からスポーツカーを作ってくれ」と言われ、スポーツカーの開発をしたいという長年の思いが叶ったと喜んだ、トヨタはMR-Sを最後に7年間新しいスポーツカーの発表をしていなかった。1台の車を作るには何百億円の投資をする為、どうしても利益がでる車が優先され、売れないスポーツカーの開発の企画が通ることがなかった。

しかし今回スポーツカーの開発が始まった理由は、当時副社長(次期社長)の豊田章男氏がスポーツカーを復活させたいと思っていたことです。その時に豊田章男氏がいなかったら、また、決定の1年半後に世界はリーマンショックに襲われトヨタも5000億円の赤字に転落したため、決定が遅れていたら86が生まれることは無かったといえます。

そしてスポーツカー開発のチーフエンジニアを誰にするかを決めたのが初代プリウスのチーフエンジニアを務め副社長の内山田であり、レース好きの多田という変なやつにやらせてみようということで、多田に決まった。多田はこれまで我慢をして普通車作りをしてきたが、この車だけは自分の好き勝手に作るぞと決心し、ネクタイを締めなくなった。

このスポーツカー企画で最初に多田の部下となったのが、シャシー設計部にいた今井である。今井は中古車のAE86にしか乗らないハチロクオタクとして社内では知られており、いつか新しい86を生み出したいという夢を持っていた。

今井はこれまで社内の新型車開発会議においてスポーツカーを作りたいと訴え続けてきたが「いま、若い人が一番欲しい車はなんだと思いますか?」というアンケートを取るとミニバンだということで却下されてきた。今井は、車に興味がない人も含めて同じアンケートを取ったら、それは家族向けの車だと答える多数派が勝つだろうが、思いの強さや車の価値をどれだけわかっているかということを加味したら、スポーツカー好きの人達も大事じゃないかと思っていた。

こうしてスポーツカー開発は多田と今井の2人のチームから始まった。(次回に続く)

 

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