あけましておめでとうございます。
令和3年を迎えるに当たり、常陸國總社宮では公式ウェブサイトを少しだけリニューアル致しました。新たに追加された「お札とお守り/郵送のお申込み」のページから、御参拝が叶わない方も、当宮の御守などをお求めいただくことができるようになりました。
また、新しく「神職日記」と題して4人の神職が交代で日々のよしなしごとを綴る、ブログのようなものを始めます。
一般の方が接することの少ない「神主さん」が、普段何を考え、どう生活しているのか。こちらを読むことで少しでも身近に感じていただけるのではないかと考えています。
ということで第一段は私から。
「新」という文字はもともと、木を斧で断ち切って新しく薪にする、という意味があるそうです。『大漢和辞典』には、あたらしい、あらたにする、あらたまる、はじめ、に加えて「木をきりとる」などという意味も書かれています。
昨年は「新しい生活様式」という言葉を幾度となく耳にしましたが、「新しい」という言葉には、本来の意味に加えたニュアンスのようなものがあるような気がします。
例えば「新しい音楽」と言った場合、最新のジャンルであったり、新しいアーティストであったり、ポジティヴな意味のように私には聞こえます。それが新しいならば、私は是非、聞いてみたい。
しかし、新しいことは時に「良くない」場合もありそうです。誰かが何か新奇なことを始める。「新しいね~」と評する声の中には、必ずしもそれを歓迎していない、半ば揶揄するような人もいるでしょう。ニューエイジ、などという言葉もありますが、人は必ずしも「ニュー」なことを好むわけではないようです。
本日から新年が始まるわけですが、これは人間が天体の運行などをもとに時間の流れを概念化したもの。人間以外の生物には、今日も明日も明後日も同じなのかもしれません。人間も毎日漫然と暮らしているだけでは、年は改まりません。斧を振るような気持ちで昨年を断ち切り、本日からの新年を良い年にしていただければと思います。