常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

節分に牛を想う。

節分については、立春の前だけではないのだとか、豆まきと追儺はもともと別物であるとか、豆は「魔目」に通じるとか、様々なトリビアがある。だが丑年である今年(令和3年)、「土牛」のことを考えるのは時宜を得ているような気がする。

土牛は「おにやらい」などとも呼ばれた追儺と一緒に、平安時代に宮中の儀礼として行われたとされる。要するに牛の土偶であり、これを大寒前夜から節分当夜まで、大内裏の周囲、十二の門に配置した。それぞれ、方位によって青、赤、白、黒、黄に色分けされており、なかなかにカラフル。さらに高さ二尺、長さ三尺というから立派な大きさである。ハトヤのCMで抱えているサカナくらいだろうか。

大阪市立大学に中山八郎という明清時代の中国史の研究者がいて、60年代に同大学の『人文研究』という雑誌に「土牛考」という文章を3回に分けて寄稿している。その冒頭にあるように土牛の風俗が『呂氏春秋』に見え、秦の時代に始まったというなら、『キングダム』の時代のことになる。いずれにせよ追儺同様、古代中国の儀礼が始まりのようだ。

時間や季節の流れというのは抽象概念であり、目に見えぬものである。それを暦に記して「見える化」し、文字を読める皆で共有した。寒さは「水」の気の仕業であるとしてこれを防いだり、あるいは追い出そうとして「土」の気を纏った土偶を使う。それを牛耕という形で人間を遥かに凌駕するパワーをもたらしてくれる「牛」という動物に整形して、エクステリア的に配置する。わりと現代アート的でもある。

ちなみに土用の丑の日と言えば夏の風物詩で、パブロフ的にウナギが連想される。が、節分同様、土用も春夏秋冬にある。すなわち季節の変わり目の直前にあたるわけで、現在も土用真っ只中。猫まっしぐら。いきおい、解体やら井戸埋めのお祓いの予約を入れようとして、「土用だっぺ」と上司などから突っ込みが入るわけである。

節分の鬼は目に見えぬ災いを具現化したもの。その最たるものは疫病だったわけだから、今年の節分ほど、しっかりやるべき年はない。時節柄、盛大にという訳にはいかないけれど。

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