常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

タコと御多幸

「○○断ち」をしたことがありますか?いわゆる願掛けの「断ち物」のことです。

最近地球の重力が強くなっているのか、たるんでみえる体を見ながら、ふと昔やった肉断食を思い出したのです。

もちろんその時はダイエットではなく、願掛けとして。その頃一番好きな食べ物がお肉だったので、あらゆるお肉を断ってベジタリアンとなりました。ちなみに、神職はお祭りなどに向けての潔斎として四つ足(牛・馬・豚など)のお肉を口にしないことはありますが、日常は食べています。

さて、「断ち物」ですが、お酒、お薬(病気になっても薬に頼らない)、果物、そのほか嗜好品など、自分の好きなものや大切なものを断つことにより、願いが叶うとされるおまじないであり、一種の「信仰」ともいえます。普段、信仰なんて意識しない方も、これは自分で決めたルールとはいえ、禁欲することで見えない神仏に願う、立派な「信仰」といえるのではないでしょうか?

願いが叶ったら通常の生活に戻る場合もあれば、誓いによっては一生実行し続ける場合もあるようです。私の願いは叶ったような叶わなかったような状態でしたが、現在はお肉を制限するような生活はしていません。

似たもので「靴下は右足からはく」とか「勝負の日にはカツ丼」のような「縁起(ゲン)を担ぐ」というのもありますね。こちらは多種多様、十人十色で面白いものがあります。同じく食べ物でお正月のおせちを例に挙げると、まめに=豆、喜ぶ=昆布のようにダジャレかと思う語呂合わせでこれでもかと縁起の良いものが集合しています。

なんとなく「断ち物」が引き算で「縁起を担ぐ」は足し算のようなイメージがしますが、願うという意味では共通点があります。

さらに「新しい靴は午前中におろす。(夜におろさない)」などの迷信も。迷信には根拠ある先人の教えのようなものも数多くあります。

この手のものは連想ゲームのようにどんどん出てきて、地域性なども調べるとどこまでも広がりそうですね。今も昔も私達たちは日常生活のなかで、自ら良いことをもたらそう、悪しきことを遠ざけよう、浄化しようとする意識が自然に働き、ある時は信仰として、ある時は子どもでも分かるおばあちゃんの知恵袋のように伝わってきているのでしょう。言霊(ことだま)の概念からくる日本人らしさかもしれません。

ほとんど食べ物の話になってしまいましたが、本格的な暑さに向けて、皆さんも美味しいものをたくさん召し上がって下さい。

ああ、早く友人と心置きなくビールと焼肉で景気づけしたいな。

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