常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

見えるんですか?

『るろうに剣心』の前作を家で観ていたら、佐藤タケルノミコト(うちの子どもたちは佐藤健さんをそう呼んでいます。)の背景に、苔むした境内と鳥居、土塀。大好きな仁和寺が出てきて、はしゃいでしまいました。

さて、お盆はお寺さんのほうが神社よりお忙しかったことでしょう。皆さんはお墓参りに行かれましたか?台風被害があった地域の皆様には心よりお見舞いを申し上げます。昨年に続き、今年も難しい方が多かったであろうとお察しします。私は悩んだ末に、少し早い8月10日に実家の会津若松に帰省しました。夫に子どもを任せて、単身で片道3時間程を車でとんぼ返り。市内の少し古い地域ではお墓参りの日は13日に限らず、実家のある集落も毎年8月10日です。今年は母の十年祭で、どうしてもお墓参りくらいはしたかったのです。

社家(神職の家)のお墓はどこにあるのか。神社の境内の一角に祖霊社として祀っていたり、境内の裏山にずらりと並んでいる場合も。社家のお墓がお寺に?お寺の宗派にもよりますが、実はこれも結構あります。神葬祭(神道のお葬式)が全国的に行われるようになったのは明治以降。古社では葬儀を専門とする役職の社家があるなど、それ以前にも全くなかったわけではありませんが、仏教のそれのほうが歴史は古いのです。神職といえども、どこか菩提寺があるのは意外と普通のことでした。

ちなみに石崎家は境内の一角にあります。私の実家はというと、お寺さんに1か所、田んぼの真ん中に1か所、共同墓地に1か所、それぞれに複数あります。そのほとんど全てが個人か夫婦墓です。古いものは読めないものもありますが、夫婦の名が並んで刻んであります。全部で36基ほど。大きめの漬物石くらいのものを含めるともっとあるかもしれません。中にひとつだけ、3人の名前が刻まれたお墓があります。男性の名前の左右に女性の名前。これは前妻さんと後妻さんに挟まれているらしく、お参りの度に男性はどんな心境かしらと要らぬ想像をしています。ちなみにこの夫婦墓、家が続く限り土地が無限に必要になるわけで、今後の悩ましい問題でもあります。

当日は朝からお供えのお団子やスイカなどを重箱に目一杯詰めて、いざ出発。一基ずつにお供え物をのせ、榊や献花をさしていくのも一苦労ですが、意外と家族でやると楽しいものです。

すっかり題名のことを忘れていました。神職になってから、たまに聞かれることです。

はい、見えません。お化けとか幽霊とかね。ちなみにホラーものはすごく苦手です。そしてこの答えを聞くと、相手がちょっとがっかりしている気がするのは考えすぎ?

でも実は子供の頃は、火の玉を見たり何かの気配を感じたり、ぞわぞわする場所があったりしました。座敷に並ぶご先祖様の肖像画を見て「せめて顔の分かるご先祖様が出てきますように。知らない人と何を話せばいいの?」と、その頃は本気で怖がっていましたが、すっかり大人になり、全くの凡人となりました。

あんなに輪郭がはっきりしていた雲も、立秋を過ぎて心なしかその雰囲気が変わり、少し寂しくもなります。せっかくなら母が出て来てくれたらいいのにと、ちょっぴり願う今年の夏でした。

※画像は名作絵本『ねないこだれだ』。作者のせなけいこさんの絵本に出てくる、怖くてもおちゃめで素直なおばけたちなら会ってみたいかも。

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