常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

16 染谷鹿島神社 3年ぶりの清心神社神輿渡御

七月中旬、清心神社の祗園祭にご奉仕しました。

清心神社は染谷鹿島神社の境内社です。

明治41年 武甕槌命を主祭神とする染谷鹿島神社に稲荷神社、厳島神社とともに合祀されたのが清心神社です。鹿島神社にはその後、末社気比神社も併合され、豊受姫命、市杵島姫命、足伸彦命、気長足姫命を併せ祀ることとなりました。

この神輿渡御は境内での発輿祭の後、急な階段を下り参道の先にある鳥居まで神輿を運ぶところから始まります。今年は感染症対策の為、巡行の人数を減らし、マスクをつけての渡御となったため、鳥居まで運ぶのも一苦労の様子でした。

神輿渡御に際し立てられる旗竿。一部鳥居で隠れていますが、拝殿から鳥居に向かって右にたてられているものは「赫赫素●勲 平成十二年七月二十日 氏子中」左は「●●叢雲剣 吴碩 櫻井幸四郎謹書 氏子中」と書かれています。●の部分は私には何と書いてあるのかわかりませんでしたが、引き続き調べてみます。神輿はここから出発し、猿田彦や地域の子供たちから選ばれた2人の巫子などとともに恋瀬川を目指します。

△猿田彦に群がる子供たち。本人は「中の人はいない」と必死で言い張りますが、誰かのお父さんなので既に正体がバレています。

今年は一部区間では台車を使いましたが、神社から町へ下る道も川へ入る道も高低差が激しいため人が担がなくてはなりません。

恋瀬川岸の土手を乗り越えていったん鎮座し、御浜降りの祝詞奏上後、再度神輿を担いで川へ入ります。

以下は、過去に行われた祭礼の写真

土手が途切れたところから川に入り、神輿を上下させて水につけ、バケツを使って勢いよく水を掛けます。

この場面は子供たちにもとても人気で、大人たちが見守る中、なるべく近い場所で御浜降りの様子を見ようと神輿の後をついていきます。川岸は大抵、梅雨の水分を含みぬかるんでいますが、男たちはものともせず神輿を担いで川から上がります。

今年は規模を縮小したためそのまま本殿へ還り例祭を行いましたが、従来は地区の公民館に作られた御仮屋に鎮座し、翌日改めて例祭を行います。

こちらの獅子も今年は巡行を見送りましたが、例年は獅子頭を振るのもお囃子を奏でるのも綱を引くのも子供たちが行っていました。

令和二年の夏、新型コロナウイルスの蔓延により神賑行事の延期が決定してから二年、完全な形ではないにしろ三年ぶりの神輿渡御をすることができました。石岡の人々は徐々に従来の生活を取り戻しつつあります。

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