前回の更新から随分と時間が経ってしまいました。
というのも、私が事務局を担当していた氏子青年ひたみち会が令和5年3月24日に設立10周年を迎え、記念行事や式典の準備に追われていたためです。
今回ご紹介するのは總社宮の周辺の神社ではなく、このひたみち会について。
ひたみち会は常陸國總社宮の大神様のもと、神社神道を実践する青年組織です。氏神である總社宮に奉仕し、行事に参加し、地域へ貢献する事で将来の石岡を担う人物としての成長を計ります。入会可能なのは總社宮の氏子地域を中心とした石岡市内に居住もしくは実家がある者、または主なる勤務先を有する満20歳~45歳の男女です。
…簡単に言うと、總社宮 氏子圏内の石岡で生活していて神社が好きな若者たちが集まって、氏神である總社宮を助けてくれる、ということですね。「ひたみち」は『常陸國風土記』に記された言葉で、まっすぐな道を表し「常陸」の語源になったともいわれています。
ひたみち会は10年前、常陸国一宮鹿島神宮の大寒禊に参加した7名の青年たちを中心に 、当宮の禊場の復活を目標として発足されました。以来、節分祭で福引所を担当したり、御田植祭では献穀田に手植えで作付けしたり、夏越大祓に欠かせない茅の輪の奉製や園遊会で境内を彩る菊を納める小屋を作るなど、一年を通して神社の祭典を助成してくださっています。
また令和元年の園遊会では御代替わりを奉祝し、次世代を担う子供たちの為に子供向け百人一首大会を企画、コロナ禍においては神賑行事延期に伴い、拝殿で奉納されたお囃子のライブ中継を担当するなど時節に合わせた新しい事業にも取り組んでいます。
ひたみち会設立10年目となる令和4年度は、設立当初のメンバーでもある大枝正和副会長(令和3・4年度)を委員長に設立十周年記念事業実行委員会が中心となって記念事業を行いました。ミニ茅の輪を作るワークショップ、一般人向け禊体験や、境内での縁日を催すなど、外部にひたみち会の活動をPRするため一般参加型の事業を多く展開した他、月に1度の禊場整備、ひたみち会初の大寒禊を行うなど、設立の原点である禊場に重点を置いた活動を行ってきました。
▲ミニ茅の輪は境内の茅の輪と同じ材料を使用。禊体験に参加してくださった一般の方には参加認定証が贈られました。寒中禊にはひたみち会設立時、禊復活祭に参加した先輩方をご招待。大寒禊は1月20日の午前0時に行われました。
▲11月に行われた「縁~Ennichi~」の様子。ひたみち会が担当したポップコーンや型抜きなどのお店の他、石岡市内外から多くの出店が集まり、境内を盛り上げるため守横町のお囃子と山車、若松東町の獅子が共演、餅つき体験なども行われました。
▲4月に行われる定例総会は禊場に移動して実施。会員や来賓に禊場の状態を確認していただきました。その後、月に1度集まっては滑落した敷石を敷きなおし、生い茂った雑木を伐採、崩落した石垣を修繕するなどの活動を行っています。
そして土曜日大安である令和5年3月25日に設立10周年記念式典が行われました。歌手の相川七瀬先生を講師に迎え「まれびとをもてなす祭りを伝える~常陸国の神社と神々~」のご講演をいただき、祝賀会では大枝正和委員長率いる柿岡八幡神社太々神楽保存会によって天の岩戸をモチーフにした演目「戸隠」が披露されました。
柿岡八幡神社は大枝実行委員長の地元石岡市柿岡の氏神神社で、柿岡八幡神社太々神楽保存会は仲秋の名月の夜、5時間にわたり「ジャカモコジャン」とも呼ばれる12の神楽を奉納されています。石岡市の無形民俗文化財にも指定されているこの神楽は、文禄4年創建時に伊勢皇大神宮より24の神楽の内12座を持ち帰り八幡神社へ奉納したのが起源とされています。
▲弟の須佐之男命の蛮行を憂い、岩戸に閉じこもってしまった天照大御神を引き出すため、天之手力男が岩の扉をこじあける場面。ドンと踏み降ろす足音と力強い太鼓の音色に圧倒されます。
▲そしてなんとヒロイン天照大御神はこの一年間、十周年記念事業を率いてきた大枝委員長です。ひたみち会は常陸國總社宮の例大祭で奉納される賑やかで軽快なお囃子に慣れ親しんだ人が多いので、荘厳な神楽を新鮮に思った方も多いのではないでしょうか。
未曾有の感染症流行下において卒業年齢を超え、会長として2期4年に渡ってひたみち会を率いてくださった細谷拓朗会長の退任とともに、十周年記念事業実行委員会も役目を終えます。
細谷会長、大枝実行委員長お疲れ様でした!