常陸國總社宮

神職日記|4人が語る、神様と暮らす日々。

⛩令和5年度 年番 若松町について

9月3日 令和5年常陸國總社宮例大祭 年番 若松町で仮殿地鎮祭が行われました。

今年の仮殿の場所についてはこちらの緑の鳥居⛩をご確認ください。

当宮の仮殿の概要や仮殿でのお祭りについては昨年 年番中町仮殿地鎮祭の記事でご説明しております。

★常陸國總社宮 仮殿 年に3日間だけ出現する幻の社

若松町はもともと長峰寺の寺域でしたが、正徳年間(1711~1716)に若宮八幡宮の松を由来に若松町と改名しました。(『石岡の今昔 今泉義文遺稿集』によると改名は宝永年間(1704~1711))

若松町は36町の中で最も戸数の多い町内で明治35年、年番町がそれまでの5町内から16町内に改定された時に年番町に加盟しました。初めて年番を務めたのは大正4年の事。5度目となる昭和51年度の年番では若宮八幡宮に仮殿を設けたそうです。若松町は山車と獅子を有している町内ですが、山車の上に乗せる人形の八幡太郎はこの若宮八幡宮に由来しています。

若松町の山車についてはこちら↓の記事をご覧ください

                                       3-3若宮八幡宮

現在使用されている山車は平成17年(2005年)に作成されたものですが、この山車について明治41年9月8日の新聞記事『いはらき』には「総社神社例祭は本日より三日間なるが本年は…若松町の牡丹に蝶々、…各美々しく飾り付けたる山車を曳き…」とあり、現在の山車とは様相が異なっていたことがわかります。実際に明治のころは金丸町の山車には巨大なおかめの仮面やサイコロが乗っていたり、昭和初期には森木町は屋台、木之地は弥勒を出している写真が残っており、現在とは少し異なった出し物があったようです。

石岡の獅子は「幌獅子」とも呼ばれ、獅子頭の後ろに大きな幌が付いており、車輪のついた小屋の中ではお囃子が行われます。こちらは若松町の獅子。

現在、若松町で使われている小屋は平成元年頃に町内の獅子部員が作成したもの。紺色と深緑の木綿の幌に若松町の「わ」がデザインされています。屋根の上には若松町の提灯が並んでいますが、中町の提灯もついています。中町は若松町の「相町」です。相町とは互いが年番の時に助け合う町内のことです。大砂も若松町に協力してくれる町内なので提灯を掲げています。提灯の中央には若松町と書かれた大きな木札があり、その横にもう一つお札があります。これは全町安全祈願大神札授与式で神社から授与されたもの。ご祭神の霊威が込められており一つの出し物に対して一体、全ての出し物にこのお札がつけられています。このお札を取り付けてからでないと出し物を動かさないという町内もあります。若松町のように複数の出し物がある町内は複数のお札を受け取ることになります。

△町内によっては町名の看板が、最初からこのお札を取り付けるようにデザインされたものもあります。

△近年若松町が巡行に使用しているのはこちらの獅子頭。こちらは平成13年に作られたもので桐製寄木造りの宇津型。宇津型の特徴は唇が複雑で眉毛が金と黒の渦になっていることです。

△こちらも全て若松町の獅子ですが、全て黒い太眉が特徴の権九郎型の獅子です。多くの町内では巡行に使用する獅子以外にもいくつかの獅子頭を所有しており、例大祭期間中は各町の会所に飾られるなどしています。

当宮の仮殿は鎮座地が定まっておらず、年毎に年番町が相応しい場所を選んでいます。鳥居、社殿などの仮殿として重要な部分以外は年番町にお任せしていますが、神輿に乗った御分霊が自町内に鎮座する3日間、年番町は神様をもてなすために風雅な庭園を造るなどして仮殿境内に趣向を凝らします。

△こちらは國分町年番の令和元年のお庭。白い砂利と苔の枯山水です。

△昨年年番の中町仮殿では池に金魚が泳いでいました。

こんな仮殿も元はと言えば駐車場。

※中町仮殿地鎮祭

お祭りが終わってしまうと跡形もなく元通りになってしまいます。お祭り中に仮殿を参拝された方が後で同じ場所を訪れたら、夢でも見ていたのかと思ってしまいそうですね。

今年の仮殿もそろそろ建てられる頃だと思いますので、後でこっそり覗いてみようかと思います。

9月11日、仮殿の様子を見てきました。既に社殿や鳥居が立っていますが、この社は御神輿に乗った御分霊が鎮座して初めて神社として機能します。お祭りまでは関係者以外立ち入り禁止となっておりますのでご注意下さい。

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